<素顔>





「いやいや、なかなか面白い話をありがとう」
笑顔で手を振りようやく部屋を出て行ったトランの経済神と呼ばれる存在に、笑顔で手を振り返した息子が心底羨ましい。
この肝っ玉の太さは誰に似たのだろう。

とりあえず自分ではないなと思いつつ、デュナン国宰相は深く溜息を吐いた。
「オヤジ、なんかここ宰相の部屋って割りには貧乏臭い部屋だよな」
「……色々突っ込みたいが、とりあえずトビアス。そこに座りなさい」
「えー、もう寝るー」
「……頼むから」
「ちぇー」
文句を言いながら、トビアスは大人しくベッドの上に、転がった。
ごろごろと転がりまわっている。それはユルバンの知る息子だった。少しほっとする。
しばらく放置していたら、トビアスはようやく転がるのを止めて、置いてあった枕を抱え込んで胡坐をかいた。

「で、なんだよオヤジ」
「お前……いや、変わってないなと」
「あー……うん。ほら、俺ってラウロやリーヤより年上だし。あいつらの前ではさ、ちったぁ大人ぶってるおにーさんしてたいから。それだけ」
言ってトビアスは小さく笑う。
「びっくりした?」
「少し、な。父さんの知っているお前は駄々をこねて我儘ばかりでいつも母さんやアダノを困らせていたから」
「へっへー、俺だって少しは大人になってるんだぜー」
「……無理を、してはいないか?」
一瞬、トビアスの瞬きが遅れた。本当に一瞬だったが、妻の言葉を信じて注視していたので気付けた。
「なんで?」
「なんで、じゃない。トビアス。どうして無理をしているんだ」
「いや、無理してないって」
「している」
「してねーって!」
はっとしたように口を噤んで、トビアスは枕に顎を埋めてユルバンを上目で睨む。

その反応にユルバンは小さく溜息を吐いた。
「……トビアス。思えばお前は小さい頃はそりゃあもう向こう見ずで怖いもの知らずで、人懐っこくて要領が良くって……」
当時を思い出して言葉を並べながら、いかに出来た息子だったかを思い出す。
使用人は彼を褒めた。なんて利発なお子でしょうと。
どんな家庭教師も彼を褒めた。なんて才能のある子だろうと。
万事にあまり器用ではなかった兄のアダノを教えて導き、まだ小さかった妹達の面倒もよく見ていた。
今思えば、あまりに出来のいい息子だった。
今日の会食の時の彼を見ながら、あの頃の息子を思い出した。
「……今、無理をしているのではないか。私は、お前にそんなことをしてほしくはない」
「してねーって」
「お前は急に変わった。八つの時だったか」
誕生会の場にいきなり鳩を持ち込んだ。当然現場は惨状となった。
家庭教師の授業をサボった、あるいは途中で逃げ出すようになった。
我儘を言って丸一日動かない事もあった。
家を勝手に抜け出して帰ってこない事もあった。
「……心配、なんだ。無理をしているのではないかと。偽る必要はない。どんなお前でも私の自慢で愛しい息子であることには変わりはない」
そう言いながらユルバンはベッドに腰を下ろして、もう自分と同じくらい大きくなった息子の頭を撫でた。
せめて心配な気持ちの一部でも伝わってほしいと願いながら。

「オヤジはそーかもな。お袋もそう言うし、アダノやケレネアやナデルだってそう言うさ。だけどさ」
トビアスは顔を枕に埋めた。表情が見えない。
「けれど他の奴らはどうだよ。オジキは、じーちゃんは?」
「彼らにお前をとやかく言う資格などないだろう」
「……俺じゃないだろ」
「父さんも家族の皆も平気だ」
黙ったトビアスに、やはりそれが理由で家に寄りつかないのだと理解する。
グリンヒルに行くと家を出てから、トビアスが実家に戻った事はない。
長期休暇は近くの宿屋に滞在して顔を見せには来るものの、泊まった事はない。
「それよりも、お前が無理をして苦しんでいることの方が嫌だよ。お前には……子供達には自由に生きてほしい。それが父さんと母さんの願いだ」
妻は心配していた。自分が悪かったのだろうかと自身を責めている。
兄のアダノも妹達も、トビアスを一心に慕っているのに。

トビアスはくてんと背中をベッドに投げ出した。
一緒に枕を投げて、両手を広げる。
「でもさ、俺が無理しなくなったら、作らなくなったら」
「今までとなにも変わらんよ。お前はお前だ」
「……そう、かな。なにも変わんねーかな。本当にもう大丈夫かな」
彼が何を懸念しているのか分かっていたので、ユルバンは優しく頷いた。
「ああ。そんなことで揺らぐ人はお前の周りにいないよ」
きっとリーヤやラウロも、トビアスを受け入れてくれるだろう。
彼らだって無理をしていないトビアスの方が好ましいに違いない。
「……そ、かな」
「父さんは自然のお前が好きだよ」
「うん、そか……うし」
掛け声と共にトビアスは上半身を起こす。ユルバンを振り返った目がきらきらと輝いていた。
「そーゆーコトなら俺もーちょっと自由に生きるわ! サンキューオヤジ!」
「あ、ああ」
突然上がったテンションに驚くが、それが素なのだろうとユルバンは納得した。
しかし正直、今までも割合自由に生きていたと思う。親戚から逃げ回っていたところが特に。
「なんだー、最初からオヤジにはバレてたのかー。はずかしいなぁ」

ははは、と笑いながらトビアスがベッドから降りようとした時、扉を叩く音が聞こえた。
誰だ、と尋ねる前に容赦なく扉が開く。
「うわーん、トビアスー!!」
駆け込んできたリーヤはそのまま真直ぐ走ってトビアスに抱きつくとベッドに押し倒す。
咄嗟の事で受身も取れず、二人は仲よくベッドに飛び込んだ。
「どーしたリーヤ」
「クロスが……クロスがああああああぁああああ」
意味不明な言葉を叫びつつ、リーヤはトビアスの胸にぐりぐりぐりと頭を押しつける。
なにやら大変な事が起こったらしい。
「クロスさんがどした? 頼むからちったぁ落ち着け」
笑顔でぽんぽんとトビアスはリーヤの背中を叩く。ううと唸ってリーヤは上半身を腕の力で少し起こした。
「クロスが……シグールと……こ、こわい話したぁ……」
「なんだ、そんなことか。お前その歳で幽霊が怖いのか」
「ゆ、ゆーれーじゃねーもん!」
ぶんぶんぶんと首を振り、リーヤは震える声で呟く。
「セ、セノがブちきれた時とかテッドが怒った時とかの話なんだもん……」
「……なるほど、怖そうだ」
わかったから一度どけ、と言われてリーヤはいやだああと悲鳴をあげる。
そのまままた上半身ごとトビアスの上に乗って、思いっきり抱きついた。
「怖いー! 寝れねー! トビアス一緒に寝てー!!」
「……そんなにか……ちょっと聞いてみたいな」
「ヤダー!!」
いったいどんな話なんだ、とユルバンすら思わず横から聞いてみたくなるほどの怯えっぷりだ。
がたがた震えるリーヤの肩を叩いて、トビアスは笑う。

そんなこんなのすったもんだをしている間に、開け放しにされた扉を閉めて入ってくる人物がいた。
「お、ラウロ。ちょっとコレなんとかし――」
入ってきた彼にトビアスがそう話しかけている最中に、無言でラウロもダッシュをしてリーヤの上にがばりと覆い被さった。
「うぁっ、ラウロ重っ、てか追いかけてくんなよー!」
「どうせトビアスに一緒に寝てもらおうと思ったくせに」
「いーじゃん! だってこえーし! ラウロはこえー話まだ続けるし!」
「そこでテッドは」
「言うなー!!」
涙目で叫んだリーヤは、トビアスの上から横に移動すると、腕を掴んでぷるぷると震えながらラウロを指差した。
「トビアス! ラウロが俺苛めるー!」
「まあ、なんだ。とりあえず俺の上からどいてくれラウロ」
「断わる」
「……っつーかなにしに来たんだ二人とも」
「一緒に寝てクダサイ。ラウロと二人部屋とかヤだ」
「右に同じく。怖がるばかりで話にならん」
「ああ、はいはいそういうことね」
言ってトビアスは両手を伸ばして二人の頭を撫でる。
「先に行っといてくれ。荷物持ってから行くわ」
「おー」
「わかった」
すっと大人しく二人はトビアスから離れ、ベッドを降りて部屋を出て行く。
いったい何が起きたのか、ほとんど飲み込めなかったユルバンだったが、自分の知るトビアスと態度が違うのは分かった。
「――トビアス、今のは」
ベッドから降りてスリッパを引っ掛けていたトビアスは、ガウンを羽織って振り返る。
「……無理、してないのか」
「ああうん、してねーよ? これからいつもあーやっておくけど、いいんだよな?」
「……まあ……お前がいいなら、いいんだ」
うん、と呟いたユルバンは息子が「んじゃねー」と言って部屋を出て行くのを見送ってから、ようやっと今までの意味を理解した。