<油断大敵!>
学年末試験も近くなった時期になって、とんでもない話が舞い込んできた。
ラウロにとってだけだが。
「――は? なに言ってんのお前」
興味ないと突っぱねた返答をしたラウロに、トビアスは目を丸くしていた。
学年末試験明けに盛大なパーティがある。
試験の打ち上げ的な意味合いも含んでいるパーティは、学園が主催するだけあって盛大に行われ、そこでは社交ダンスの場が設けられるのだ。
もちろんパーティへの参加も自由だし、ダンスをするかどうかも個人の自由ではあるのだが。
「興味ない。だから出ない。簡単だろう?」
「トビアスは出んのー?」
三人の中では最も社交性のあるトビアスは、困ったような顔をして頭からするりと帽子を取った。
「あのさラウロ……」
「なんだ?」
締め切り間近のレポートから顔を上げたラウロに、トビアスはその胡散臭げな顔に極めて遺憾そうな表情を浮かべて言った。
「時間割、見てねぇ?」
「は?」
「……ダンス、単位の必修項目だぜ?」
「……は?」
トビアスの言葉に硬直したラウロは、数秒後にはバサバサと資料をひっくり返して鞄の底から紙を一枚取り出した。
学期の始めに流し見ただけの、授業の概要が記された紙をぺらりと捲ったその裏側に、ラウロにとっては悪夢の始まりとも言える一文が添えられていた。
「…………」
「あ、ほんとだー」
横から覗き込んだリーヤが他人事のように呟く。実際、その授業を履修していないリーヤにとっては他人事だ。
「『教養1・2 通年 ※ダンスパーティ参加必須』……だってさー」
「聞いてないぞ!?」
「そりゃお前授業いねーじゃん。まあ俺もほとんど行ってないけどさ、それは知ってたぞ?」
肩を竦めたトビアスは同情を込めてラウロの肩に手を置いた。
どうせ一晩数回で終了だ。
それで単位がもらえると思えば安いではないか。
「まあ諦めてめかしこんでいこうぜ」
「……んだ」
「へ? なに、ラウロ?」
身を乗り出したリーヤとトビアスに、耳を疑う言葉が飛び込んできた。
頭を抱えて机に突っ伏したまま、ラウロは搾り出すような声をあげる。
「踊れないんだ」
「…………」
「……パーティまであと何日だっけー、トビアス」
「俺の記憶が正しければ十五日だな」
「試験まであと十日、だよなー」
やるしかねぇんじゃね? とリーヤは言い。
やるしかないなあとトビアスは言った。
その二人の言葉で、どうやらこの二名は踊れるらしいと気付き、ラウロは更に落ち込む。
考えてみれば当たり前なのだ。
リーヤは一般的常識以外ならなんでも叩き込まれた万能人間(ただその万能さは無軌道なので実際はあまり万能ではない)だから社交ダンスを仕込まれていてもおかしくはないし、トビアスは貴族の息子だ。
対してラウロは普通の商人の息子。覚える機会などあるわけがない。
「しゃーない。特訓だなラウロ」
「ちゃんと踊れねーと、卒業できねーんだろー?」
「…………」
楽しそうな二人にジト目になってから、ラウロはふーと溜息を吐いた。
悪いのは確認を怠った自分なのだから、仕方がない。ただ少しばかり癪なだけで。
というわけで、試験明けの五日間をダンスの練習に費やす事になった。
自業自得ではあるのだが、こうも不慣れなダンスをやり続けるのは耐久力との勝負だ。
「イチ、ニ、イチ……ラウロ、そこ違」
「いってーっ!」
「あー……」
「……悪い」
何度目かのステップを間違えて、足を止める。こうしてリーヤの足を踏む回数も、そろそろ数えるのが面倒だ。
踏まれた足をさするリーヤに素直に謝って、ラウロは椅子にへたりこんだ。
覚えるのには実際に踊って体に叩き込むのが一番だからとリーヤを練習相手に踊っているのだが、社交ダンスは密着したり足を揃えて出すステップが多いので、左右を間違えたりするとそのまま相手の足を踏んでしまったり、バランスを崩して転倒してしまう。
聞けば授業でダンスの練習時間もあったらしいが、リーヤやトビアスには悪いが出なくてよかったと思う。人前でこんな醜態を晒すのはかなり嫌だ。
「少し休憩するか」
トビアスが一時中断を告げて、お茶を入れてくれる。
それを受け取って冷ましながら、隣に座って足をぶらつかせているリーヤに尋ねた。
「にしても、なんでお前女性パート踊れるんだ」
「ほとんど左右逆なだけだけど、頭の中で反転させてるのか? そしたら器用だよなぁ」
興味があるのかトビアスも乗ってきた。リーヤはしばらく唸った後、ぽつりと呟く。
「……ダンスを教えられた時に」
「うん」
「相手がシグールで、シグールが普通に踊るから俺が自然と女性パート踊ってて。途中でテッドが気付いたけど、その時にはほとんど覚えてたから」
「…………」
「…………」
「で、後から男性パート覚え直した」
「……なるほど」
「ニアミスなのか確信犯なのか……」
「社交ダンスの女性パートが踊れても役には立たないと思うが」
「今役に立ってるけどな」
「…………」
それはつまり、シグールに感謝しなければならないという事だろうか。と考えて鬱になるラウロだった。
「でも、ラウロもずいぶんできるよーになったし、これなら明後日に間に合うんじゃね?」
「そーだなぁ」
まだ時々ステップを間違えるが、数曲分は抑えたし、今踊っている曲も今日中にはモノにできるだろう。
「当日は先生の前で二、三曲踊ってみせればいいみたいだし、大丈夫だろ」
「二人のおかげだな」
こればかりは認めるところだったので素直に礼を口にすれば、二人そろって物凄く奇異な目を向けられた。
「……ラウロが素直なのって、気色わりー」
「だなー」
「……どういう意味だ二人とも」
素直に礼を言えばこれか、と顔を引き攣らせるラウロから、トビアスとリーヤは乾いた笑いを浮かべて一歩遠ざかった。
「ところでラウロ、お前、相手は決めたのか?」
「……相手?」
「……ラウロ君、よぉ」
眼鏡を押さえてトビアスはふるふると首を振った。また何かしたらしい。
「今練習してるのはなんだ?」
「社交ダンスだろう」
「当然ペアだよな?」
「そりゃあ……」
「今はリーヤが練習相手やってるが、当日はどうするつもりだ?」
「当日適当に探せばいいだろう?」
「……いや、うん、お前なら引く手数多だろうし、それでもいいんだけどさ?」
深く溜息を吐いてトビアスは人差し指をラウロに突きつけた。その勢いに思わず背をのけぞらせる。
「お前、もう少し自分の人気ってもんを自覚しろ? 女生徒の間で誰がお前のパートナーになるか、壮絶な戦いが繰り広げられてんだぞ」
普段人付き合いというものをどこかに置き去りにしていて、女生徒にとっては遠目で見る事はあっても言葉を交わすなんて夢のまた夢……というラウロがダンスパーティに出るのだ。
パートナーになれば、会話はおろか手を繋いでダンスを踊れる特権を女子が黙って見逃すはずがない。
当日適当に探すだなんて悠長な事を言っていたら、確実に女子に囲まれてもみくちゃにされる。
ついでにラウロのパートナーとなった女生徒のその後がとても心配になる。
そこまでは気を回さなくてもいいのかもしれないが。
「そのへん上手く立ち回ってくれるような女子を探しとかないと、当日凄いことになるぞ」
「うわ、ちょっと見てーかも」
女生徒に囲まれ困るラウロを想像してにやりと笑ったリーヤに、ラウロは項垂れたまま視線を向けた。
「……リーヤ、お前女装してみないか」
「ぜってーやだ」
「…………」
満面の笑みのまま即行で断られ、ラウロは直前にまたひとつ増えた悩みの種に頭を抱えた。
なんでダンスが必修なんだと今更すぎる恨み言を吐きながら。