<愛情はスパイス>



それはとてもよく晴れた冬の日のことだった。
いつものようにクロスとルックは暖房費節約のためにシグールのところにお邪魔をしていた。
石造りの塔は暖まりにくく冷めやすく、しかも無駄に広かったりするので薪代だってバカにならないのだ。

シグールは地方から届けられた資料をナナメ読みして、ルックはシグールの本を勝手に拝借していて、クロスは編み物をしていて、テッドはシグールから言われたらしい資料の書き写しをやっていた。
時々適当な話をしながら、会話の切れ目にテッドが「トイレ」と行って立ち去ったタイミングで、切り出したのはシグールだった。
「……ごめんシグール、ちょっと最近耳が遠くて」
「クロス、ちゃんと耳掃除してる?」
「してるよ! 三日前にルックにしてもらったばっかだもん!」
「鼓膜破られないようにね。で、もう一度言うけど、僕に料理を教えてほしいんだ」
「…………」
微妙な顔でクロスがルックに視線を向けると、本を開いたままルックは沈痛な面持ちで首を横に振った。
「残念なことに僕にも聞こえた」
「……幻聴じゃないんだ」
「明日は吹雪かなぁ……ちゃんと窓閉めておかないとね」
「ちょっと……二人して、僕が料理を教えてくれって言うのがそんなにおかしい?」
「「おかしい」」
ユニゾンで断言されてシグールは不貞腐れて頬を膨らませる。

「だってシグール、昔グレミオさんに台所に入らないようにって厳命されただろ」
「あれはつまみ食いするからってのもあったけど、手伝えば皿割るはまな板まで一緒に切っちゃうはで大変だったって聞いたことあるよ」
「ちゃ、ちゃんとやればできるし! 味覚だって並以上はあるし!」
「料理センスとそれは別ものでしょ。あんたに料理は向いてないと思うけど」
「……今年一冬分の薪」
ぼそ、と呟かれたそれに、ルックは言葉を詰まらせた。
「いいよ」
「クロス!? 薪代のためにどれだけの食材と調理器具を犠牲にするつもり!?」
「まあまあ。シグールが料理する気になったなんてすごいことじゃない」
薪代はいいから道具と食材費はシグールが持ってね、と笑って言うクロスに、シグールは頷いて、ルックは不可解ではあったけれど、クロスが引き受けた以上自分がなにかするわけでもないのでそれ以上は口を挟まなかった。
「あ、それでさ」
「テッドには内緒でしょ?」
「……うん」
「うちに来る時は適当に理由でっちあげておいでね?」
「わかった」
「……クロス?」
「うーん……後で教えてあげる。シグール、好きな時に来てね」
クロスがそう言って編み物に戻ったとほぼ同時に、テッドがトイレから戻ってきた。





帰り道……というよりルックのテレポートで塔に戻ると、ルックは暖炉に火を入れるクロスに早速シグールが料理をしたがる理由について尋ねた。
結局あれからシグールとクロスの会話に一度も「料理」の二文字が出る気配はなく、ルックは本の内容もロクに頭に入らなかった。
その本は借りてきたけれど、無駄に考えてしまった時間を返せ。
「で、あの「自分で料理なんてする気もありません」な奴がどうしていきなりあんなこと言い出したのさ」
ざかざかと火種を大きくしながらクロスは微笑ましいものを見るような目をして笑う。
「シグール本人には聞いてないけどね。たぶんテッドに料理作ってあげたいんじゃないかなぁ」
「……はぁ?」
「僕もルックもセノもジョウイもある程度料理作れるし、お互いに相手の作ったもの食べたことあるじゃない」
「それこそ今更じゃない」
「この間さ、セノがジョウイにお菓子作ってあげてたじゃない」
「うん」
「それ見てたぶんテッドはなーんにも考えずに言っただけなんだろうけど、「いいなぁ」って言ったんだよねぇ」
「……それだけ?」
「たぶんそれだけじゃない?」

たぶん本当にテッドはなんとなく言っただけで、もう言ったかどうかも覚えてなんていないだろう。
シグールだって普段なら聞き流していたかもしれないけれど、たぶんたまたまその一言が耳に残って、なんとなく作ってみたくなったんだろう。

テッドのことだから、シグールが作ったと言えば生焼けの芋だろうが焦げた魚だろうが食べきるに違いない。
忘れていそうだがテッドは放浪歴が長いので、一応胃腸は丈夫だ。
それでもちゃんと練習をしようというシグールの心意気は感動ものだ。
なにせあのシグールなのだから。

「愛は偉大だよねぇ」
「……それで料理する気になるのかね」
「好きな人の料理を食べるのって凄く嬉しいもの」
「……あ、そ」
「暖炉の火もついたし。ルック、今日何食べたい?」
灰のついた手を払って振り返ったクロスに、ルックはしばらくの無言の後、顔を背けて言った。
「今日は僕が作る」
「え!」
「僕の食べたいもの作るからね」
「なんでもいいよ〜ルックの作ったものならなんでも!!」
ぱあっと表情を輝かせて飛びついてきたクロスをあしらいながら、ルックは火照る頬を見られまいと顔を伏せた。

そんな事を言われて黙って夕食を作ってもらって食べるなんてできるわけがない。



***



その次の週から、シグールは暇を見つけては塔に顔を出すようになった。
なるべく間を空けない方がいいからという事で、塔に行くと素直に行って出かける(というより送り迎えはルック)ので、やや無理な理由で出かけるシグールをテッドは不審に思ったようで、何度か探りを入れてきたが、クロスが笑顔でシャットアウトした。
「教えろって」
「ダメ」
「俺だけ知らねぇとかつまんねー」
「そのうちわかるよ。直接シグールに聞けばいいじゃない」
「教えないの一点張りだった」
「だったら僕に聞かないでよ」
「明らかにお前らが一枚噛んでんだろ!!」
「わかってて聞くなんて、奥さんの浮気を心配して奥さんの友人に遠回しに探りをいれる旦那みたいなせせこましい真似しないでね」
「…………」
「そんなに暇なら書庫の整理でもしてあげたら?」
「…………」
「それとも薪拾ってきてくれる? うちの」
「…………」
見事な防衛手腕でした。



さて、シグールの方はといえば、さすがに砂糖と小麦粉を間違えるというベタな間違いなどは犯さなかったが、グレミオが危惧する事はよくわかった。
料理をし慣れていれば同時に二つ三つの料理を作る事だって簡単だが、それができないのだ。
普段いくつもの商品を同時にやり取りしたりしていても、やっぱり頭の使う部分が違うらしい。
スープを煮込んでいる間に別の料理を作ると煮詰めすぎてしまったり、そちらに気を取られて味付けを間違えたり……料理初心者にはよくある事なので、それなりに平和に料理教室は進んだ。
どれだけの調理器具と材料が廃材として処理されたかについては秘匿事項としておいて。



「……うん、合格」
「やった!」
ポトフのスープの味見をしたクロスの言葉に、シグールはぐっと拳を上に突き上げた。

いくつかの簡単な料理を「同時に作らないこと」を前提としてモノにしたシグールは、ようやくクロスの及第点をいただけた。
「二ヶ月よく頑張ったよねー」
「これもクロス大先生様のおかげです」
「おかげで我が家も随分と食費が浮いたよ……」
「……あの失敗作がどうやってあそこまで回復するのかさっぱりなんだけど」
「それは長年の経験だよ☆」
「クロスの腕前には遠そうだなぁ……」
「別にシグールは家事マスターになりたいわけじゃないんだからいいじゃない」
「自分で家事マスターって言っちゃうんだ……」
からからとクロスは笑って「じゃあ卒業試験ね」とさくっと切り出した。
「今晩テッド夕飯に呼んでるから☆」
「ちょっΣ( ̄□ ̄|||)」
「いいじゃない、いい加減教えてあげないとテッドの顔色最近悪いよ?」
「…………」
「あれ、テッドに食べさせるために練習してたんでしょ?」
「べ、別にテッドに作るなんて……」
「違うの?」
「……僕言ってないよね」
「言ってないけどわかるって」
「……通りで理由聞いてこないと思った」
観念したように溜息を吐いたシグールに、クロスは別にいいじゃないと笑う。
「テッド喜ぶよ?」
「……それなんだけどさ。テッドには僕がどれ作ったとか言わないでほしいんだ」
「なんで?」
「まずいって言われたらたぶん僕テッドをぶん殴ると思うから」
「……そこで落ち込んで立ち直れないとか言わないあたりシグールだよね」
仕方ないなぁと笑って、クロスは承諾した。

テッドを招待した夕飯は、ポトフに鳥のローストに温野菜のサラダ、リゾットという冬定番のメニューだ。
いきなりルックに連れ出されたテッドは何が何だかという表情のまま席につく。
「今日なにかあったか?」
「うーん……記念日的ななにか」
「はぁ?」
「いいからテッド、食べる」
「……はい」
やけに真剣なシグールに気圧されて、テッドは恐々とフォークを掴んだ。

「……これ、なんか変なもん入ってないよな?」
「入ってない入ってない」
「…………」
いまいち信じていない表情でテッドは一番手前にあったポトフを口にした。
「……なんだよ」
「テッド、おいしい?」
「うん? うまいけど」
「あ、そ」
「さて、僕らも食べようか」
「そうだね」
「ちょっと待て!? 毒見か! 毒見なのか!?」
「まあまあ、何もなければいいじゃない」
「僕、ちょっと水持ってくる」
「ちょ、シグールお前まで!?」
そそくさとシグールが席を立つのを見送ってから、テッドはさて、とクロスとルックに向き直った。



「で、シグールは何を思っていきなり料理なんてやりだしたんだ?」
「あれ、わかったの?」
「そりゃあれだけ凝視されてたらなんとなくわかるっての……帰ってくると食材の臭いさせてるし。それにこれだけ味付け普段とちげーし」
「へぇ?」
「ぶっちゃけるとお前が作ったやつのが美味い」
「…………」
「けど、こっちのが俺好み」
にんまり笑ってポトフを食べるテッドに、それはよかったとクロスは満足気に笑った。





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テッドのために料理を頑張る健気な坊が書きたかったんです。