<伝記管理注意報>





結局その日はルックが頑として受け付けないまま昼食の時間になったため、伝記の買い付けの件はお流れとなったのだが。
数日後、遊びにきたシグールとテッドは、数冊の本を持参した。
リーヤは待ちかねたように走って二人を迎える。
「シグール、おっそい!」
「ごめんごめん。そのかわり、掘り出し物見つけてきたからさ」
楽しそうに言って、リーヤに見せた本はかなり分厚い。
中を開けば、細かい文字がぎっしりと詰められている。
今度は挿絵もないようだった。
「読めっかなー……」
「ん? なんなら読み聞かせてあげるよ」
そっちの方が覚えるしね、と言われて嬉しそうにリーヤは頷いた。
クロスやルックが本を読むのを聞くのは楽しい。特にクロスは読むのが上手い。
自分の家のような顔でお茶を注文し、どっかとリビングのソファに陣取ったシグールは、選んだ二冊の本を掲げてリーヤにどちらにするか尋ねた。

お茶を二人分運んできたクロスは、溜息を吐いて、げんなりした顔のテッドと共に出て行った。
一緒に聞けばいいのにと思いつつ、リーヤは何の本かを尋ねる。
「群島諸国とグラスランドだよ」
「古い方がいい」
「なら群島諸国だね」
グラスランドの方を机に戻して、シグールは本の表紙を捲った。
「これは、今から三百五十年くらい前の話だよ」
「すっげー」
そんな昔の話を思い描いて目を煌めかせるリーヤを、シグールは嬉しそうに見て、ゆっくりと語り始めた。



――ラズリルと呼ばれるその小さな島で、「彼」は幼少時代を送る。
身分は小間使い。さる貴族の屋敷に拾われ、仕えていた。
その島には海上騎士団があり、「彼」はそこの訓練生時代を経て、正式な騎士団員となった。
全ては、その時から始まった……
……ここに綴るのは真実の記憶。
永遠に記憶に残る英雄と
そして彼の一〇八の仲間の――

 


そんな冒頭で始まった、分厚い書物に書かれた文字は、シグールの綺麗な声で形になり、リーヤの目前に展開を見せる。
その「英雄」は、人殺しの咎を着せられ、故郷を追い出され――
「英雄の名前はなんてーの?」
「クロス」
「ふーん……」
よくある名前なんだやっぱ。じゃあクロスは群島諸国出身なのか、と呟いたリーヤに、シグールは返答せずに続きを語った。

――クロスはオベル王の信頼を得て、クロスは船を手に入れ使命を課せられる。海賊キカとの出会い。そして……
すっかり冷めた紅茶に手をつける事なく、リーヤは一心不乱に聞き入る。
本の三分の二を終えようとする頃、呆れた顔でテッドが入ってきた。
「いつまで読むんだ。とっくに昼の時間だぞ?」
「サンドイッチ作ってもらう。食いながら聞く」
「そう言うと思って、ほら」
テッドが差し出したサンドイッチに手を伸ばし、リーヤはむしゃむしゃと食べる。
シグールにも差し出すが、彼は笑顔で首を振った。

「それより、テッドも聞いてよ」
「シグール、読み聞かせ上手いよな!」
「ありがとう」
「…………」
嫌な予感がして、テッドはシグールの顔を窺う。

お前、今自分が何読んでるか分かってんのか? クロスの伝記だぞ? 俺が出てくるんだぞ? ……しかも、できる事なら抹消したいような性格で。

しかしテッドの心の中の叫びが推測できているだろうにも関わらず、シグールは滔々と続きを読み始めた。
「――突然船が揺れ、クロスは驚いて見張りに声をかけた。深い霧の中だったが、接近する船があればわかるはずなのに、その影はない。船は不気味な沈黙に包まれ、そしてぼうっと霧の中に一つの灯りがともった。クロスは相手が武装していないように見えたので、他の者を制し問うた。松明の揺らめきの中、浮かび上がるのは、白いフードを頭からすっぽりと被った怪しげな……」
「……イヤミか」
「黙ってろよテッドっ」
「…………」
「怪しげな人物は口を開く。思いの外若い男の声だ。霧の船へと誘われたクロスは、その道中……」
シグールの語りはそれから途切れる事なく続き、ひとしきり読み終えた頃には昼半ばだった。
本を閉じて、シグールが問いかける。
「どうだったー?」
「すっげー楽しかった! 特に海賊キカと弓の少年テッド! つっえーの、すごい!」
「ああ、フードを頭からすっぽり被って登場した弓を使う怪しげな「俺に構うな」君ね」
「うんっ!」
「シグール、どこからその本をひっぱってきた……?」
恐々とテッドは尋ねた。群島の伝記は数見たが、テッドについてここまで詳細に述べている本は見た事がなかった。
テッドの持つ紋章の特徴などもあって、クロスが頼んで歴史書にテッドの事はあまり載らないように配慮したとも聞いていた。
「ちょっとコネを伝って、オベル王家に納めてあるやつのコピーを」
「…………」
どんなコネだ。
そして誰だそんなの書いた奴。
そう言いかけて本の裏表紙に刻まれた印を見たテッドは、小声で呻いた。
『オベル王家歴史書 著者 セツ』
――なんか俺に恨みでもあるのかこいつ。
「じゃあ次! 次! グラスランド!」
嬉々とした顔でもう一冊の本を取り上げたリーヤの手の内を見て、テッドは不審さに眉を寄せた。
「……なんだ、その本」
それほど薄いわけではないが、なんだか装丁が甘い。表紙になっているのは本皮だ。
「これはねー、超レア物なんだよ。なんせ二百年くらい前に、一瞬市場に出回ったきりだからね」
微笑んで表紙を撫でるシグールに、リーヤが首を傾げる。
「著者の挨拶文があるよ……ほら」



――この本はグラスランドで起こった「炎の運び手」達の活躍の裏を記した物である。
けして歴史の表へ出る事のない、敗者の記憶を綴っている。読者諸君がこれを読み、歴史の何たるかを学んでくれれば幸いだ。




「えーっと、グラスランドとハルモニアのなんかがあって、んでー、その五十年くらい後になんかまたあったんだったっけ……?」
別の歴史書で得たらしき知識を呟くリーヤに、そうだねとシグールは言う。
「「炎の運び手」と称される集団と敵対した相手が「破壊者」だ。彼らは真の紋章を集めていたんだよ」
ふーんとリーヤは呟く。
それは今まで読んだ伝記の中にも所々出てきていた。
世界には二十七の真の紋章があると言われ、その力は膨大なものである、と。
それについてルックに尋ねた時、厳しい顔でルックは言った。真の紋章の力は確かに絶大だが、一方で制約が課され、気軽に手を出していいものではない。手に入れるにはそれ相応の覚悟と犠牲がいる。それは人の触れていい物ではないのだと。
歴史を大きく変える争いには、必ずというほど真の紋章が関わっているという。
「じゃあ読むよ……」



――些細な事で始まった。セラは立ち上がって怒鳴った。
「人外! それはルック様のお席です。座らない! 触らない!」
人外と呼ばれた黒尽くめの男、ユーバーは視線を泳がせるが、彼を助けてくれそうな人物はいない。仕方なく肩を竦め、隣の席に座ろうとすると、後ろから椅子を押さえて、冷ややかな視線を投げかけるアルベルトの姿があった。
「ここは俺の席だ」
「…………」
テーブルに席は三つ、セラの隣に椅子はない。残り一人はどこに座れと。
「食事にするか」
現れた一行のリーダーである仮面の男は、常に付けているはずのその仮面を外していた。さすがに始終というのは蒸れるらしい。華奢な肩の線に違わず、端整な顔立ちをしている。
「ルック様、今晩は何ですの?」
小首を傾げて聞いたセラが、料理をした事はない。
「子兎のソテーにふかしたジャガイモ、煮たニンジンのグラッセに……」
彼らの名は破壊者。真の紋章を手に入れ、この世界を滅ぼすのがその目的。
……目的。
言うだけは自由なのだ、今日ものんびりリーダーの仮面の男が作った夕食を楽しむ。



「……なに、ソレ」
半分ほど読んでも延々とこんな感じの繰り返しだった。
伝記というより、どこかの家族の観察日記のようだ。
唖然としたリーヤに言われて、シグールは笑顔で本を持ち上げて表紙を見せた。
「グラスランドの混乱の時の真実 〜実は彼らの敵はこんなだった〜 著者、不明」
「不明? ってか……ルック?」
首を傾げたリーヤは妙な符号に気付いた。

シグール、セノ、クロス、テッド。
彼らの名前が英雄やその側近の名前と同じなのは分かる。
英雄の名前は人気があるのだと、以前クロスから教えられていた。
しかし、ジョウイはたしか、デュナン統一戦争に出てくる敵の頭の名前だったはず。
ルックもグラスランドで同様の立ち位置だ。
好き好んでそんな名前をつけるのだろうか。
……まあルックはレックナート様がつけたかもしれないからおいといて。

「まだ読んでるの? いい加減夕食の」
そう言いながら入ってきたルックは、なにやら考え込んでいるリーヤと笑顔で本を読んでいるシグールの姿を見て、その内容を三十秒そこら聞くと、顔色を変えた。
「――それ、どこ、から、ひっぱ、って」
 怒りに顔を赤くしたルックの低い声が這って、やあルックとシグールは笑顔で手を振る。
「なん、どうやって、どうし」
「著者は不明だけど、どうやら困窮して本を書いてその金で大陸外にトンズラしたらしいね」
「……アルベルト……!!」
そんな事する人間はあのメンバーでは彼しかいない。
ルックの怒りに満ちた声が響き渡るのと同時に、リーヤが顔を上げた。
「シグール、なんでルックの名前ってルックっていうんだ?」
「……なんでって」
「そうつけられたからに決まってるだろ」
「ジョウイは?」
全員同じって、よく考えるとおかしくねぇ?
首を捻ったリーヤに、笑顔でシグールは言い放った。
「バカだなあ、リーヤは」
「なっ」
「まさか本当にそんな偶然あるわけないだろ?」
「……は?」
じゃあ。
じゃあ、まさか。
――え?
目を白黒されているリーヤに、シグールは満面の笑みを浮かべた。
「全員本人だよ」
「じゃ、じゃあ海の王クロスとか、トラン建国の英雄シグールって……」
「はぁい☆」
夢が壊れる音がした。
「いやだああっ!」
叫んだリーヤと項垂れたルックを尻目に、シグールは満足な反応を得られた事に気をよくしたのか、本の朗読を続けようとする。
「……やめてやれ」
テッドが遠い目をして制す。
「正しい知識は必要でしょ?」
「知りたくないぃ……」
 頭を抱え込んでしまった子供にも容赦のないシグール坊ちゃんだった。