<家族になろう>
夜中に、眠っている二人を起こさないようにベッドを抜け出た。
靴を履いて、そっと部屋を出る。
拾われてから一週間あまり経ったというのに、リーヤの寝床はまだクロスとルックの間だった。
部屋がないわけではない。塔の中を案内される時にひとつひとつの部屋を見せてもらって、使われていない部屋をいくつも見た。
中には本当に何もない部屋や、ぎっしりと本が詰め込まれた部屋もあったが、きちんと人が過ごせる体裁を整えられた部屋もあった。
しかし、リーヤにはいまだ部屋は与えられず、二人に拾われた身としては部屋をくれなどと言えるわけもなく、ずるずると一週間きてしまった。
部屋をくれと言えば、おそらく与えられるのだろう事はわかっていた。
あの町から抜け出したくてしがみついたリーヤを、二人は振り払う事なく、連れ帰った先で見捨てるわけでもなく、それどころか寝床を与え食事をさせる。
ありがたいと思う反面、日が経てば経つほど不安が沸いてくる。
痩せこけた子供に何の見返りも求めない二人の態度が恐ろしい。
リーヤは自分が、決して人に愛護されるような性格をしているとは思っていない。
最初にルックに言われたように、態度も礼儀も知らないし、ここに来てからも特になにができるでもない。
なのに二人は、リーヤを邪見に扱うわけでもない。
実際リーヤに対するルックの態度は、シグール達から見れば「ありえない」と絶叫するくらいに穏やかなものだった。
叱る時は叱るし始終面倒そうな姿勢は崩さないが、リーヤの面倒も見るし、湖の近くで遊ぶリーヤを視界に入れるように外で本を読んでいる。
外へと降りるための階段を壁伝いに進む。
窓のない廊下はまっくらで、明かりがない状態ではそろそろと足元を確かめていかなければならない。
時折足を踏み外しそうになりながら、なんとか一番下まで辿り着き、手探りで錠を外す。
外への扉を開けると、そこには月明かりの世界が待っていた。
ざわざわと草が擦れる音がする。
真っ暗な中を進んできた目には、半月の明かりすら眩しくて、リーヤは瞬きを繰り返した。
開けたままの扉をどうしようかと一度振り返って、ここが島でほとんど人の訪れがない事を聞いていた事を思い出して罪悪感を覚えつつそのままにする。
明日の朝、いなくなったリーヤを二人はどうするだろうか。
探すだろうか、いなくなった事にせいせいするだろうか。
怖いくらいに優しい二人は、きっと拾ってしまった子供を見捨ててはおけなくて連れてきてしまっただけだろうから、しばらくは心配するものの、きっとすぐに忘れてしまうに違いない。
「どーやって出てこ……」
湖畔でぽつり呟く。
ここに来た時は、わけのわからない内に一瞬で室内にまで連れられてきてしまったし、それ以来この島から出た事がなかったから、どうしたらここから出られるか分からなかった。
塔から少し離れたところには木でできた船着場もあったが、そこに船はない。
せっかく夜中に目を覚ましてここまで出てきたのに、このまま朝になって二人に見つかってしまってはどうしようもない。
しかし、リーヤにはここから出て行く術がわからない。
途方にくれていたリーヤに唐突に声がかかった。
「こんな時間にこんなところに何の用ですか?」
「だっ……だれだよ」
大きく肩を揺らして振り向くと、見た事もない女性が立っていた。
以前ルックを女性に間違えた前科のあるリーヤだが、今度は間違えようもなかった。
黒い髪を風に揺らし、淡い色のゆったりとした服を着ている。
閉じられたままの目がリーヤへと向けられ、女性は小さく首を傾げた。
「ここへはどうやって?」
「……クロスと、ルックに」
「ああ、やはりあの二人ですか」
ふわりと表情を緩めて女性はリーヤへと歩み寄ってくる。
じり、と後ずさったリーヤに笑った。
「私は不審者ではないですよ。共にここに住んでいるのですが、一月ほど空けていたものですから……おかげであなたとご挨拶するのが遅れてしまいましたね」
あの二人から私について何か聞いていませんか、と問われて首を横に振った。振ってから、きたばかりの頃に同居人が後一人いるのだと聞いていた事を思い出した。それが彼女だったらしい。
女性は別段気を悪くした風でもなく、マイペースに自己紹介を始める。
「私はレックナートと言います。あなたの名前は?」
「……リーヤ」
「なかなかいい名前ですね」
「……俺も、そー思う」
小さく頷いたリーヤに、察したのかレックナートは微笑を湛えたままリーヤへと更に近付いた。
「それでリーヤは、こんな夜中に外でどうしたんです?」
直球で聞かれてリーヤは言葉に詰まった。
しかしすぐに気を取り直す。
あの二人に直接は言えなかったが、この人ならば島の外へと出る方法を教えてくれるかもしれない。
「この島から、出たいんだけど」
「行きたいところがあるなら、明日クロスに言えばいいでしょうに」
「……それじゃ、意味がねーんだ」
「リーヤはここから出て行きたいのですか?」
「…………」
「出て行きたいのであれば、あの二人に直接言いなさい。リーヤがそう望むのであれば、あの二人も止めはしないでしょう」
「……言えるわけねーじゃん」
「どうしてです? 嫌なのであればはっきり言えばいいではないですか」
だって、とリーヤは今度こそ言葉に詰まった。
ここでの生活は落ち着かなくて不安になるくらいに優しくて暖かくて、嫌いではないのだ。
だからあの二人に面と向かってここを出て行くと言って、あっさりとそれを承諾されるのが怖かった。
そう言った時にほっとする顔を見たくもなかったし、悲しそうな顔をするのも見たくなかった。
出て行きたいと思っているのに引き止めてほしいと思っている。
悪い方向の想像でも良い方向の想像でも、どんな二人の表情や反応も見たくなくて、こうしてそっと出てきたのに。
「だ、って……嫌じゃ、ねーんだ」
「なら出て行く必要はないでしょう」
「けど、だって、俺なんもできねーし。かわいげだってねーし。クロスもルックも、俺が連れてけって言ったからそのまま連れてきただけで、きっとこんな子供いらないって」
「ああもう馬鹿だなぁリーヤは」
がばりと後ろから抱きつかれて、リーヤの言葉の先は情けない悲鳴に変わった。
リーヤを抱え上げてぎゅうぎゅうと抱きしめていたのは、いつの間に来ていたのかクロスだった。
「僕もルックも嫌な事は引き受けない性格なんだよ。リーヤをここに連れて来たのだって、義務感とか憐憫とかじゃないんだから」
「ク、クロス……いつ、から」
「リーヤが起きた時から気付いてたよ」
目を白黒させながら一生懸命首を捻って見上げると、クロスはおかしそうに笑っていた。
「僕もルックも、隣でがさがさ誰かが動いたら起きるくらいには聡いから」
「……俺、そんなにうるさかった?」
「今度から抜け出す時は靴は履かない方がいいかもね」
くすくすと笑うクロスの笑みが、不意に寂しそうなものに変わる。
「リーヤはここにいたくない?」
「違うっ!」
反射的に答えて、リーヤは罰の悪そうな顔をする。その体を抱えなおしてクロスは言った。
「なら、一緒にいようよ。もうリーヤの分の食器も服だってあるんだよ。せっかく用意のに、使ってもらえないのは寂しいな」
「あ……」
「僕ら、リーヤくらいの小さな子と一緒に住むのは久しぶりだから、色々分かってないかもしれないけど、僕らはリーヤと一緒にいたいよ」
「……俺、いていいの?」
恐々とした質問に、クロスは満面の笑みと包容で答えた。
「だって僕ら、もう家族だよ」
「……っ」
「――あらあら」
クロスの言葉に、クロスの腕にしがみついて泣き出したリーヤにレックナートが微笑ましそうに笑った。
***
このあとルックに叱られてまた三人一緒に寝ます。
リーヤに部屋がなかったのは単に川の字がしたいクロスの要望なだけでした。