それは気がつかなかった俺の罪

もっと喚いて 叫んで


俺を責めて 泣いてくれ





<sino>





グレティア=アン=オネゲルの自殺と、ササライ暗殺未遂についてリーヤも証言をする必要に迫られたが、案じたササライの手はずによって早々に帰宅が許された。
あからさまに命を狙われたはずのササライは、何もない顔をして通常通りの時間に出勤していく。
思わずその腕を引いたが、笑って頭を撫でられた。

「だって、今日、ササライ……」
「このことは内緒に。緘口令も厳しく引きます。ヒクサク様を心配させるわけにはいかないので」
「言わねーの!?」
「言いませんよ、私の管理能力が疑われるだけです」
いいですね、と育て親と同じ顔で微笑まれてはリーヤにはぐうの音も出ない。
やるせない思いで彼を見送ってから、部屋に入ってきたスフレとラウロを見上げた。

「落ち着いた? もう家に戻っていいわよ」
「スフレ、もう、こねーんだな、学校……」
机に視線を落として呟いたリーヤに、そうねとスフレは努めて明るく答える。
「もうとっくに教養は修めたし」
「……楽しかった、ありがと」
呟いてリーヤは立ち上がる。
泣きそうな顔で、スフレを見た。

「そんな顔、しないでよ」
「グレティアとは、ホントの、友達だった?」
「……いいえ」
悲しげな表情を一瞬だけ浮かべたが、スフレはきっぱり首を横に振った。

決めた事だったから。
それが目的だったから。
後悔をしていると、言えない。

「私はグレティアの信用を利用して彼女の一族を破滅へと追いやったわ。出世のためにね」
その綺麗な双眸が怒りを満たすのをスフレは静かに待っていた。
しかしリーヤは、痛々しげな微笑を必死で浮かべて、スフレを抱きしめる。
「――きっと、グレティアだって、うれしかった。スフレは――いい、友達、だった」
「…………っ」
「俺からも、ありがとう。友達でいてくれて、ありがとう」
つむがれる言葉は強くて優しい。
五つも下の少年に慰められて、スフレはぎゅっと目を閉じた。

「スフレ」
リーヤが体を離すと、静かな声が後ろからかけられる。
振り向いたスフレの手を取って、その指先にラウロは軽く唇を押し当てる。
いつもより数度低いその体温に、スフレは目を見開く。
「俺も感謝している、ありがとう」
「……ラウロ」
覗き込んでくる深い蒼い目は、知らない冷たさを湛えている。
「利用してすまなかった。俺ごときに利用されない優秀な人材になってくれ」
はらりと手を落とし、ラウロは静かに扉を押し開ける。
リーヤがじゃあなっといつものような声で言って、その後を追った。


閉じていく扉の前で、スフレは机に手を突いて、泣いた。
あまりにあっけなく崩れたあの日々を懐かしんで。
返らないことを嘆いて。

今、この時だけの追憶を捧げた。















家に戻った二人は、向こう二週間たっぷり休暇であった事をやっと思い出す。
ソファーに崩れるように座っていたリーヤは、どこかに行ってしまったラウロの姿を探して彼の部屋を訪ねた。
「ラウロー」
ノックなしであけるのはいつものことなので、がちゃりと遠慮なく入ってみたら、そこには。
「……どうした」
「ラウロこそ、どーしたん、だよ」

じっと椅子に座って机に向かっているラウロ。
勉強道具が出ているわけもない。
ただ、座って組んだ両手を額に当てて。
座っているだけ。

「俺は平気だ。お前は――寝た方がいい。顔色が酷い」
案じるような声音に潜んだ震えにリーヤは気付いた。

やっと、気付いた。
リーヤを拒むようなラウロの横顔は。
大人びたせいなどではなかったのだ。

常日頃無駄な事にしか回らない頭が、今日ばかりは綺麗に無駄なく回転した。
日々違和感を覚えていた微かなことが、全部一気に符号する。
育て親がほめてくれるデキのいい頭が弾き出した結論に間違いがないと、確信できてしまう。

浮かび上がったそれは一枚の絵。
とても綺麗、そして残酷にすべてをまとめた絵。

描いたのが誰なのか、自問自答の意味もなく。


「ひでーのは、ラウロもじゃねーかっ!!」
たまらず叫んで、駆け寄る。
驚いたように目を見張って、動けないラウロの手を掴む。
冷えたその手に泣きたくなった。
「なんでっ」
「…………」

なんで、が顔色の事を指していない事をラウロも気付いたのか。
掴んだ手を振りほどかれる。
それから冷たい声での拒絶も。
「いいから、お前は寝ておけ」
「俺は――俺はへーきだっ! ラウロがっ」
どうして、気付かなかったんだ。
いくらでも予兆は、あったはずなのに。
「ラウロが守ってくれたからっ」

「……俺は、お前を守ってない」
搾り出すような声はかすれている。
リーヤを振り払ったはずの手が中途半端な位置で止まって、細かく震えていた。
「俺のしたことは、ただの殺人だ」
ごまかさない、とラウロは呟いてその両の手を合わせると再び固く組む。
指を組むのは震えを必死に抑えていたのだと、リーヤはやっと気付く。

こんな事にさえも気付けない。
そんな自分が、なにより、憎い。
「グレティアは、自殺、で」
「お前だって気付いているだろう」
スフレの素性をばらしたのは、俺だ。
「っ」
それに、とラウロはリーヤの方を見ずに呟く。
「……スフレと恋人を演じていたのは、彼女の情報を受け取るためだ」
思い通りに事を運ぶために、彼女が惚れこむような男を演じて。
最後は上手く抱き込んで、まんまと屋敷の中にまで入った。

何も考えずそれをできた自分に吐き気がする。
何人の人の好意を逆手にとって裏切ったのか。
平然とできた自分に恐怖する。

今更そんな偽善的な後悔はしたくないのに。
振り払おうとすればするほど、少女のあの笑顔が目に浮かぶ。
彼女はただ、真剣に愛しすぎただけなのかもしれない。
求めすぎただけなのかもしれない。

悪くはなかったのかもしれなくて。
だけどそれを悪と認識したラウロの行動一つで、彼女は。





「ラウロ」
思考の渦に飲み込まれていたラウロは、リーヤに手を引かれているのに気付いた。
ぐいぐいと、むしろ痛いくらいの力でリーヤはラウロを引く。
「ラウロって、いっつもそーだよな」
泣きそうな顔で、でも笑顔で言う。
「俺を置いて、いっちまうの。しらねーだろーけど、俺は」
ぎゅっと、自分より大きい手を握る。
「ラウロに、置いてかれるのが、すっげー怖くて」
必死に追いかけているつもりでも、彼の歩みは速くて。
追いついたと思ったらもうずっと先にいて。
「ラウロの、手を離されんのが」

とても 怖い

彼に自分が要らないのではないかと

そう思う瞬間が なにより 怖い


「一人で、抱えねーで」
彼は一人で立っていられる人だって知っている。
リーヤが隣にいなくても、ラウロはきっと歩いていける。
――逆は、絶対ありえないけれど。
「……んで、なんで、ラウロが全部背負わなきゃいけねーんだよっ!」
今回のことでラウロに利益は何もない。
救われたのはササライの命。
そしてリーヤ自身だ。
それなのに、どうして。

どうして、ラウロが全部背負うんだ。
ずりーよ、そんなの、俺だってちゃんと背負える。



必死に訴えるリーヤの声は、ラウロの耳にぼんやりと響いていた。
だけど頭が回らない。
口が開かない。

「俺だって、ラウロを守れる!」
叫んだリーヤに初めて思考がゆっくりと戻った。
「俺だって、ラウロを助けてーし、俺だってラウロが大事だし、俺だって」
俺だって、と呟くリーヤの前でラウロがゆっくりと立ち上がる。
「ラウロ?」

どーしたの、とリーヤが言う前にラウロの腕が背中に回る。
痛いくらい抱きしめられて、リーヤはそれでも無言で堪える。

「――っく、っぁ」
押し殺した嗚咽に、濡れていく背中。
そっと自分より大きい背中をなでて、リーヤは呟く。
「泣けよ、もっと、いっぱい」
「……っ、俺、はっ」
「――誰も、悪いわけじゃねーんだ……」
ただ、自分の策を必死に張っただけ。
守りたいもののために、得たいもののために。
それが複雑に交差しすぎて、そしてラウロはすべての網を完璧にさらってしまった。
「俺はっ、グレティアが飛び降りたとき部屋の外にいたんだっ!」
止めようと思えば止められた。
だが自分は冷酷に彼女の死ぬ音まで聞いて。
「ラウロ」

相手より強い力でリーヤはラウロを抱きかえす。
息が止まるくらいに強く。

「もう、いい。もういーんだ。もう、終った。嘆いたって、おわんねーし……それに」
それに、とリーヤは呟く。
「……もし、逆だったら、俺は」

考えるまでもないんだ。
ラウロのした事は罪だったかもしれない。
だけど、もし。

「俺が、ラウロで、ラウロが俺だったら。俺は絶対に殺してる」
自殺を誘発させるなんて穏便な手段なんかじゃない。
この手で、殺しに行っている。
「誰が、責めても」

ぎゅうと、力をこめる。
想いを、できるだけこめて。

それが自分を守るために犯された罪だというなら。
共に咎を受けたい。


「……俺は、許すから。自分を責めねー、で」

呟かれた親友の言葉に。
ラウロは必死にすがりついた。




 



***
もはやどっちが年上なのかすら謎。
今回はラウロがあれこれああでしたが。
逆だと秒速でおわりますよ。

リーヤが言っていた通りにね。