踊れ道化よ

嘆きそして崩壊しろ


俺の策の上で





<coniuratio 〜Lauro〜>





冷たい快感がこみ上げた。
それは歓びではなく、嘲りに近い。
手にした熱を引き寄せて、すでに効力を持つと十二分に自覚している甘い声で囁いた。
「感謝する」
「ラウロに感謝されるなんてうれしいわ」
腕の中で笑った彼女は、首に腕を回して体を密着させてくる。
「よく盗み出せたな」
「人聞きの悪い。借りただけよ」
互いの耳元で呟きあって、くすくすと笑った。

「で、どうする?」
「ラウロはどうしたいの? 私はどうとでも結構よ」
最終的に利が回れば文句はないわ、と蟲惑に微笑む女にラウロはそうかと返して細い腰を引き寄せる。
頤を持ち上げキスをしているように見えるほど顔を近づけて、甘く呟くのではなく鋭い声音で言った。
「報告はしたんだろう、あとはスフレの上司の手腕をうかがうさ」
「あら、怖いボウヤ」
くすくすと笑って女は舌を絡めた。
周囲の誰もに見せ付けるようなその行為を続けながら、ラウロはゆっくりと目を閉じる。
冴えた頭で考えるのは目の前の彼女の事ではなく、これからの自分の行いだ。

物足りなさそうな顔をした彼女の顔がようやく離れると、ラウロは軽く片手を上げて身を翻した。
足早に廊下を歩いていると、反対側の端から大きく手を振る人物が見える。
それが誰かなんて考える必要もなく、ラウロは進路を変えてそちらに歩いていく事にした。
「ラウロー、グレティアがクッキー作ってきてくれた」
バスケットに入ったそれの中から一枚差し出してきたのを、受け取らず直接噛みつく。
ぼろりと口の中で崩れる触感を楽しみつつ、飲み込んだそれは僅かな甘さと爽やかな香りを残す。
「美味い」
「だろー? ほら、やっぱ美味いって」
心配そうな顔で窺っていたグレティアは、リーヤの言葉に破顔して頬を赤らめた。
付き合ってたしか数ヶ月はしているはずだが、相変わらず初々しい。
「自信持てって、俺けっこう料理にはうるせーけど、美味いって思うもん」
ラウロがかじったクッキーの残り半分を食べながらリーヤが言うと、彼女は嬉しそうな顔で頷いた。


「さて、明日から休暇だがグレティアは用事あるのか?」
「え? あ、はい。一応、明々後日から一週間くらい家族旅行で」
「えー、グレティア旅行いっちゃうの? つまんねーの」
会えねーじゃんと言ったリーヤに仕方ないだろうとラウロは宥める。
「楽しんできてくれ。さ、帰るぞリーヤ」
「うん、じゃーな、グレティア」
少女の肩を引き寄せ、ふくよかな唇へキスをする一連の動作を滑らかに行って、リーヤはすでに歩いていたラウロに追いつく。
しばらく無言で歩いていて、沈黙にリーヤは違和感を覚えると隣を歩いているラウロを見上げた。

ここ数ヶ月で、見慣れてしまったあの横顔があった。
質問を拒絶しているような、リーヤが考えつけない事を考えているような顔。
「ラウロ……」
置いていかれたような錯覚に陥って、リーヤはくいとラウロの上着の袖を引く。
「どーした?」
「――リーヤ、今、幸せか?」
ぽつりと漏らされた言葉にリーヤは頷く。
「うん」
幸せ、だ。
ラウロがいて、ササライがいて。
会いたい時にはヒクサクに会えて。
ルックやクロスもたまに会いにきてくれて。
……幸せだ。
自分のした事は許されない事だから、それ以上を望むのは我侭だ。
「グレティアといて、楽しいか?」
「なんで」
そんな事を聞くのか。
固まったリーヤにラウロは笑う。

「冗談だ、見ていればわかる。相思相愛だな」
その言葉に胸を刺されてリーヤはラウロの服を強く握りこむ。
けれど、自分は彼女の思いを裏切った。
最初に抱いていたのは恋心ではないけれど。
でも、純粋に笑って自分の一挙一動にその瞳を動かす彼女の事を、愛しく思っているのは事実だった。
これは恋ではないのかもしれない。
だけど、こういう形の愛だってあると思う。

できるなら、彼女にはずっとあの笑顔のままでいてほしかった。










報告を受けてササライは表情を険しくする。
嫌な予感に、胸が締め付けられそうになる。
どうしてこうも綺麗に符号する。
ただ、偶然の一致であると思っていた。

偶然の一致なんてない、そう思ってこれまでこの政治の中枢を切り抜けてきたはずだ。
些細な事だって影で蠢くものの正体を示す。
それなのにこんなあからさまな事に気付いていなかったなんて、どうかしている。
――少し、棘が取れたのだろうか。
取れすぎてしまったのか、それとも家に戻ると彼がいることがあまりに浮かれ気分にさせていたのか。
「わかりました。証拠もこれならば万全ですね」
「では、処置はお任せ願えますね」
暗殺は、犯罪である。
実行方法、実行時期、実行場所。
すべて証言がとれ、命令を下した張本人の名前が分かっている以上、ササライにできる事はなかった。
「……ええ、任せます」
「ありがとうございます、ササライ様」
「…………」
部下を下がらせ、ササライは両手で顔を覆った。

やはり、近づけるべきではなかった。
リーヤが、何より守りたかったあの子がもう気付いてしまった今、どんな結末になっても彼の心を深く抉る事態になってしまうのに間違いはない。
本当に裏が取れるなど思っていなかった。
本当に暗殺計画を決行するほど愚かな男であったなどとは。
そしてこれほど迅速に、すべての証拠がそろうとも。










「……え?」
門の前に立ち尽くしたリーヤは、見覚えのある姿をその中に見て叫ぶ。
「ササライっ!!」
「! リ、リーヤ」
呼ばれた彼は明らかな動揺の色を浮かべて、門を手の一振りで開けさせ中に入ってきたリーヤを抱き寄せる。
「どうして、ここに……」
「グレティアが、話、あるって、言って」
呼ばれたんだ、と呟いたリーヤの手には手紙があった。
「なのに、来たら、兵ばっかで」
どーしたんだよ、と力なく呟く彼にササライは躊躇った。
言うべきかそうでないかを。
「どー、なってんだよ、ササライ……」
「リーヤ、その手紙はいつもらいましたか」
「今日の、早朝。グレティアの乳母が持ってきた」

ササライは空を見上げる。
見るまでもなく、まだ朝の早い時間だ。
おそらくリーヤは手紙をもらって早々に家を出てきたのだろう。
「ラウロは家に?」
「うん」
起きてねーと思うし、と呟いたリーヤの顔色があまりに悪く、ササライは慌てて座らせる場所を探すが庭にそんなものはない。
仕方なく屋敷の中に引っ張り込んで、部下に命じて椅子を持ってこさせる。
「リーヤ……手紙にはなんと?」
「それより、グレティアに、会いたい」

ササライの手に手紙を押し込んでリーヤは訴える。
「グレティアは、どーしたんだよ」
「…………」
答えられずササライは手紙を開く。
そこには彼女らしい可憐な筆跡でつづってあった。
しかし、その文字はところどころでかすれ、どれほど急いで書かれたかを示している。


――リーヤ君、ササライ様のことで相談したいの、今すぐに。
一人できて、こっそりきて。
ごめんなさい、ごめんなさい。
あたしは知らなかったの、何も知らなかった。


「ササライっ! グレティアは!」
「死んだわ」
静寂が落ちる。
それを作り出した張本人は、無駄にゆっくりと近づいてきた。
「グレティアは死んだわ」
「す、ふれ」
かすれた声で呟いたリーヤに、スフレは苦々しい表情で吐き捨てる
「やられたわ、まさか自殺するなんて思わなかった」
「なん、なんで!!」
「なんでですって?」
決まってるじゃない、とスフレはリーヤの襟元を掴んで自分に引き寄せる。
「アンタのせいよ、ボウヤ。アンタに惚れなきゃ、あの子はっ」
やり場のない怒りをリーヤにぶつけようとしたスフレの手を、横から伸びてきた誰かが止める。
「――見苦しいまねをするな」
「ラウロ! な、なんでここにっ」
「スフレに聞いた。リーヤ、来い。ササライ、いいな」
「――許可します、彼らをグレティア嬢のところへ」

ササライの言葉に兵の二名が敬礼をして、ラウロの前に立つ。
リーヤはぐいと手を引っ張られ、まろびながらなんとかついていく。
何度も来た屋敷、その構造はよく覚えていて。
顔を出した厨房も、その横にある裏庭へと続く倉庫も。

ただ、今はそこに。

「う……そだ」
白い布に包まって置かれているのは、何?
鼻腔を突くこの臭いは、絶対に間違えるはずがない。
「どう、して」
白い布に指が伸びる。
ゆっくりと剥ぎ取ったそれから現れた青白い肌は。
「グレ、ティア」
呟いて頬に指を滑らせる。
だけど身動き一つしない。
リーヤの言葉一つで紅潮していた頬は、もう、永遠に。

「……っく」
遺体の前に伏したリーヤから涙が零れる。
その横で青白い顔を見ていたスフレは、ゆっくりと遺体の布を元に戻した。
「見ないでやって。グレティアはアンタを本当に好きだったわ。だから、こんな顔見られたくなかったに決まってる」
「……冗談はほどほどにしておけ。スフレ、俺を怒らせる気か?」

響いた低音の声にリーヤは驚いて振り返る。
傍らのスフレは苦虫を噛み潰したような顔でラウロを睨んでいた。
「リーヤ、グレティアの日記だ」
「悪魔!」
叫んだスフレはラウロがリーヤに渡そうとしたそれをひったくろうとして、あっけなくかわされる。
ラウロの投げた日記はすっぽりとリーヤの腕の中に納まった。
「どうして綺麗なままに残さないの! 真相を知ったって」
「リーヤは知ってるぞ、グレティアの真相とお前のこと以外は、な」
目の前の話の展開が分からずリーヤはそれでも日記に目を通す。



好き、とても好きよ、なのにどうしてもこちらを見てくれない。
わかっているの、あの人はきっと誰のものにもならないんだわ。
だけど好き、とても好き。

スフレに話したら上手くいったの、きっとリーヤ君に近づける。
大好きよ、本当に好き、あたしが一番幸せにしてあげられる。
だからお願い、神様、リーヤ君と恋人にさせてください。

愛してる、本当に愛してる。
形だけじゃ嫌なの、あたしのものになってほしい。
お父様だって賛成してくださったわ。
もちろんよね、ササライ様に近づきたいならリーヤ君は抑えておきたいもの。
ササライ様が死んでしまったら、リーヤ君は身元保証人がいなくなってしまうわ。
そしたらうちで引き取るの、きっとお父様は賛成してくださるはずよ。



「…………」
リーヤの手が止まり、瞬きをする。
ラウロに詰め寄っていたスフレは彼が核心に行き着いてしまったことに気付き、口を閉じた。
ササライの命令なのか、部屋には彼ら三人以外誰もいない。
だが、その無音の中リーヤはページをめくる。



いよいよ明日だわ、明日の朝早くにササライ様暗殺の事でリーヤ君を呼ぶの。
あたしは知らなかったわ、何も知らなかった。
お父様の計画は完璧よ、間違いようがないわ。
それからササライ様をリーヤ君に呼んでもらえば必ずいらっしゃるもの。
大丈夫絶対上手くいく。
リーヤ君はあたしと暮らせるの、ずっと、ずっと。


ウソよ、ウソ、ウソっ、スフレが証拠をこの家から集めたですって!
ハルモニア政府の諜報員ですって!?
一年も前からの親友だったのに!
じゃあ、もしかしたら。
リーヤ君も、
裏切っていたの、

あたしを、お父様を捕まえるために!!





「グレティアは、自室の窓から身を投げて死んだ」
リーヤの目が日記の最後の一ページに止まったことに気付いて、ラウロはぱたりとそれを閉じる。
「お前に出された手紙は、偽りの呼び出しだ」
「グレティアは」
呟いてリーヤはラウロに抱きつく。
「……ほんとーに、かわいかった。俺は、好きになれたと、思って。でも」

ササライ暗殺計画を初めて知った時、彼女を利用して情報を探る事に罪悪感を覚えなかった。
迷いはしたけれど、後ろめたい気持ちにはならなかった。
「……んで、こーなっちまったんだよっ……」
リーヤに恋をする事がなければ、グレティアは父の愚かな算段に乗る事もなかっただろう。
オネゲル家当主だって、リーヤというササライに対しては最高の切り札が手に入りそうでなかったら、こんな事を実行しなかったかもしれないのだ。
そして。
スフレだって。

「スフレ、諜報員、って」
「……本当よ。こう見えて今年で二十歳。アンタやグレティアはだませたのにね」
ササライ暗殺の噂は本当に微細なものであったが、本当に事件となればとりかえしがつかないどころの騒ぎではない。
上手くいけば諜報員として破格に昇進が約束される、運がよければササライ神官将の目に留まるかもしれない。
幼い頃から貧困のど真ん中にいたスフレにとって、逃せないチャンスだった。
丸一年もかけて、一派の中心と思えるオネゲル氏の愛娘に接近した。
演技力には自信があったが、こうも見事に演じきり周りをだませるとは思ってもいなかった。
なのに、あの男にはばれた。
初めてスフレと彼女の自室で二人きりになった時、彼は恋人の振りをしていた仮面を取り去って冷ややかな笑みを浮かべたのだ。

――所属はどこだ、諜報員。



思わず回想した自分を叱咤し、スフレは現実に思考を戻す。
そこにはかわらずしがみついているリーヤと、その背中をゆっくりと撫でているラウロの姿があった。
「――リーヤ、平気か」
「へいき、だいじょーぶ」
「ササライが話があると言っていた」
「……ん」
わかった、とラウロの腕から離れて少しふらつきながら部屋を出て行くリーヤを見送っていたスフレに、ラウロは無表情で呟く。
「後悔しているのか、スフレ」
「いいえ、してはいけないわね。ターゲットに感情注入なんて、諜報員失格」
その声は完全に平坦ではなく、ラウロはさりげなく手を伸ばすとその頬に触れる。
「――あと三年経てば、いい諜報員になるな」
「いい女になると言いなさい、ボウヤ」

口元にゆがんだ笑みを浮かべたスフレが部屋を出て行く。

閉じた扉を目で確認してから、ラウロは布一枚かけられた遺体を振り返った。


「――お前なんかに、独占できるものか」

浮かべた微笑は、闇に消えた。











***
オチ。
………………オチ?

終わり。

こんな暗い学生生活いやぁorz