愛も恋も 誰かを大事にすることは
大切なものと教えられた
偽るものではないと信じてた
<coniuratio 〜Leeya〜>
背のさほど変わらない相手にリーヤは少しだけ顔を下に向けてキスをする。
触れるだけの軽いものだけど、少女の頬に朱の上らせるのはたやすかった。
「じゃ、また明日」
「……うん」
頬を緩めて幸せそうに微笑むグレティアに手を振って、リーヤは鞄片手に駆け出す。
彼女一人の教室を出て廊下に駆け込むと、ここしばらくで存分に見慣れた光景があった。
最初は違和感も覚えたけれど、一ヶ月以上も見ていればもう慣れた。
「ラーウーロっ、帰んぞっ!」
「ああ、わかった」
スフレの腰にまわしていた腕を解いて、ラウロは長躯をかがめると彼女の頬に口付けながら耳元に囁く。
「それじゃあ、その件はまた明日、スフレ」
「ええ、楽しみにしてるわ」
「何の話だよー?」
俺も入れて入れてといわんばかりのリーヤに、ラウロはぺすりと自分よりだいぶ小さい相手の頭の上に手を置く。
「子供にはまだ早い」
「俺子供じゃねーもん!」
「あはは、そう言ってムキになるとこが子供よねえ。じゃあね」
爽やかな笑い声を残してスフレが待っているグレティアのところへ合流しに行くと、ラウロはリーヤの頭をくしゃくしゃにする。
「ラウロー?」
見上げてきたリーヤに僅かに微笑んだ。
「さ、行くか」
「そーいやーさー」
一歩踏み出したラウロに、ぐちゃぐちゃにされた髪を整えながらリーヤが言う。
「ろーかで抱き合うのはどーよ? って一度言いたかったんだけど」
「別にいいだろうそんなの。それとも何か、お前の前でしてほしいのか」
「ちげーけど」
むうっと口を尖らせてリーヤはラウロの横に駆け足で並ぶ。
いつも見上げているばかりだったが、ここ数年でラウロの背は更にぐんと伸びた。
今はもう、大人の中でもどちらかといえば高い方になる。
リーヤは
育て親の二人の背を追い越す事には恐怖心を覚えていたが、ラウロにどんどん離されていくのは不快感を感じていた。
見上げる時、まるで自分が子供のように思える。
その葛藤を押し殺してリーヤはそっぽを向く。
「どうした」
見下ろされてリーヤはべっつにーと返す。
ここ数ヶ月でラウロは大人びた。
会った時から年の割に落ち着いていたけれど、そういうのじゃなくて。
ちょっとした時の表情とか、ふと口をつぐんだときの横顔とか。
ニューリーフ学園にいた頃なら躊躇いなく後ろからタックルできていたのに、最近ではしようと思ってもなぜだかできない。
「別にって顔じゃないぞ」
上から降ってくる声に、リーヤはなんでもないと首を振る。
「リーヤ、食欲がないなら今日の夕食は減らすぞ」
「ある!!」
今日の夕食当番はラウロだ、メニューはもう決まっている。
それはリーヤも好物だったから、昨日メニューを聞いた時点から楽しみにしていたわけで。
「ぜってー食う!」
「なら早く帰るぞ」
「うんっ!」
一気に機嫌を直したリーヤにラウロはやれやれと肩を竦め、足早に帰路についた。
グレティアの家に招かれたスフレは、今日は両親がパーティでいないと言う彼女と共に一室でお茶を飲んでいた。
かたりとコップを傾けて、グレティアは小声で呟く。
「あ、あのねスフレ」
「なあに」
「……本当に、ありがとう。リーヤ君のこと」
お互い様と笑ってスフレはお茶を飲み干しもう一杯を自分に注ぐ。
お茶菓子に手を出しつつ、綺麗な親友をからかった。
「それにしてもグレティアもけっこう積極的だったわね」
「え、そ、そんなこと……」
「よくもまあリーヤを落としたもんだと思うけど。最近けっこうラブラブじゃない」
ぽっと頬を染めてから、本当? と聞いてくる。
「仲良さそうに見える、かな?」
「見えるわよー! 今日だってキスしてもらちゃって」
「キャーっ、ハズかしいから言わないでっ!」
あわあわと慌てるグレティアにきゃらきゃら笑って、スフレは最後のお茶菓子をつまんだ。
「あ、なくなった」
「もらってくるわ。今日はお手伝いの人もあまりいないの」
待っててね、といわれてはぁーいと返すとグレティアが皿を持って出て行くのを見送る。
タイミングを見計らって、すっと彼女の部屋の扉を開いた。
グレティアの私室は三階。
この階には他にも彼女の両親の寝室、母親の私室に父親の書斎がある。
グレティアが向かった先の厨房は一階だ。
僅かな隙間から身を滑らせて、スフレは廊下に出る。
しんとしたここに見張りの者はいない。
足元は長毛の絨毯で足音が響く心配はまったくない。
廊下の一番奥の、南向きの部屋。
グレティアが一度教えてくれたのを思い出しつつ、スフレはすばやく廊下をわたる。
目的の部屋の扉に鍵ががかっているのに目を細めて、取り出した針金を突っ込んだ。
カチャリ。
しばらくの格闘の後、静寂に慣れた耳には大きすぎる音が響いて、ゆっくりと扉が開く。
音を立てないように神経を最大限に使ってスフレは扉を閉め、窓から差し込む月光を頼りにポケットから取り出したマッチで、机の上のロウソクに火をつけた。
このロウソクは、毎朝使用人が新しいものに変えているとグレティアから聞き出していたから、多少減っても問題はないはずだ。
一度息を吐き、それからそろりそろりと引き出しを開く。
重厚な印象を与える大きなその机の引き出しの中には、書類が丁寧に整頓されて入っていた。
その中の一枚を一瞥し、スフレは次の引き出しを開ける。
それを終えると、本棚へ。
一段一段、何を探しているのか。
延々と、彼女はそのほのかな明かりの中、ひたすらに書類を漁り続ける。
しかしある大きい本の間に挟まっていた数枚の書類を見て、目を輝かせると卓上に置いてあった紙をひっつかみその上に文章を写し出す。
きょろきょろと周囲を見回して別の書類を取り出すと、何度も前後をチェックしながらそっと二枚だけ抜き取った。
集めた書類と紙を全部まとめてくるりと丸め、グレティアに借りたふわふわした夜具の中にそっと潜める。
ロウソクを吹き消し、自分の痕跡をすべて消して、そっと忍び足で扉の外に出た。
「スフレ! どこに行っていたの? 心配したのよ……」
部屋に戻ると、泣きそうな顔のグレティアが立っていて、スフレはごめんねと笑って少女の頭をなでる。
「夜風に当たりたくなって外に出てね。グレティアの所にいって脅かそうと思ったの。だけど迷っちゃって」
「本当に心配したのよ」
「だからごめんねって」
笑いながらスフレは新しい茶菓子に手を伸ばした。
無言で差し出されたその数枚の紙切れを受け取って、ササライは複雑な表情をする。
「……リーヤ」
「俺は、間違いねーと思うんだけど」
いつもの明るい表情をどこかに置き忘れてきたかのように、重い表情の彼をササライは眉をひそめて見やる。
「どうしてこんなことを」
「だって――だって、俺、知ってんだよ……」
ハルモニア政府内でのササライの立ち居地は、ほぼ頂点にある。
外見こそは若いが、その実二百歳越えの彼に逆らう者などまずいない。
表立っては、いない。
「貴族内の異分子のことは私も知っています。だけどこれは貴方の仕事ではない」
ピシャリと厳しい声色で言われて、リーヤは唇を噛んだ。
「これをどうして手に入れました」
「…………」
「内通者でもいるのですか」
「……異分子、中心は、オネゲル家だから」
呟いたその言葉と浮かんだ表情に、ササライはすべてを悟る。
そうだった、彼が今親しくしている相手は。
「家、行った時、色々、みて、きい、て」
「リーヤ、失望しました」
相手のその言葉に、リーヤの目が見開かれる。
膝の上に置かれた拳が、固く握られ細かく震えた。
「あなたはそのために、グレティア嬢に近づいたのですね」
「ちっ、違う! 違う、違う、けど」
それとなく彼女の家のことを聞いている間に、聡いリーヤは気付いてしまったのだ。
彼女の父、オネゲル家当主が異分子――反ササライ派の中心である事を。
「彼女はおとなしいけれど純粋にリーヤを思ってくれている子なのに、その相手を利用した」
「違う! 違う、ホントに、ちげーもんっ……」
迷った。
利用なんてするつもりじゃなくて、だって彼女は純粋にリーヤを好きになってくれただけだから。
だけど、彼女の屋敷に招かれたとき偶然耳にした不穏な言葉が気になって気になって。
どうしても気になって。
どうやってもリーヤに好意的なグレティアを利用して、探ってしまったのだ。
そこに現れたものは、背筋が凍りそうなほどのショックをリーヤに与えた。
――ササライ暗殺計画。
城のずっと奥に閉じこもって、正式な式典にも顔を出さないヒクサクは一般には生死すら曖昧であり、彼に直接取り次げる数少ない人物のササライが実質の長であると思っている人も多い。
ササライさえいなければ、誰もがヒクサクの片腕を名乗ってハルモニアを統治できる。
そう考えた集まりがあった。
今のハルモニアには確かに問題点も多い。
移民や異種族の排斥、絶対的な階級制度。
だがその反面、他の国で問題になっている事の多くが解消されていることを彼らは省みない。
声高にハルモニアの不平等性を叫んで、その象徴でもあるササライを政治の場から追放しようと考えたのだ。
ハルモニアを真なる平等国家にするためという主張は、口先だけだとリーヤでも分かる。
本当は自分達が統治権を握りたいだけだ。
だから、怒りに燃えたまま調査を進めて実行時期と実行方法をなんとか探り当てた。
「だ、だって、これが、ほんと、なら、俺は」
泣く寸前まで行っているのに、必死にこらえながらリーヤは続ける。
「俺は、ぜってー、実行なんか、させねーもん!!」
叫ぶと同時に、終に涙腺が緩んでぼろぼろと大粒の涙が零れる。
表情一つ変えずにそれを見ていたササライは、それでも、とリーヤの泣き声を封じた。
「その行為は最低です」
「っ!」
「リーヤ、あなたが掴める程度のことなら私の耳にはとうに入っています。無用な心配はしないで、早く夕食を作りなさい」
涙すらショックで止まってしまった彼に、ササライはふっと表情を緩めると立ち上がって後ろから抱きしめた。
「ありがとう、リーヤ。私を心配してくれて」
「……だ、だって、ササライ、死んじゃうなんて。やだ」
「大丈夫、暗殺計画ごとき、慣れてますよ」
駄々っ子の耳に落ちた言葉は、二百年の重荷を含んでいた。
***
ササライ暗殺計画。
きっと十回はかるくされてるだろう。