<天秤にかけられないもの>
廊下を歩いていた友人を見つけて、リーヤは持ってる本が落ちそうになりながらも駆け寄る。
「ラウロっ!」
「どうした?」
「どーしたって、お前さっきの授業どこいってたんだよー」
口を尖らせたリーヤに呼び出しを受けてたとさらり答えると、目を見開いて、次いで首を傾げる。
「呼び出しー? でもお前別になーんもしてねーだろ?」
「呼び出しは怒られるばかりじゃないだろ」
あ、そっかーと頷いたリーヤは抱えていた本をラウロに見せる。
「なあこれっ、ルックが送ってくれた!」
分厚い本の表紙を一瞥して、ラウロはそれが何であるかを知る。
「ああ、読みたがっていたシンダルについての本か」
「そ、おもしろいぜー! ラウロも読まねぇ?」
「あいにくとシンダル語を読書に使えるほどは読めない。お前が訳して読み聞かせるならともかくな」
「いいぜ?」
即答されてラウロは思わずつんのめる。
「ンな七面倒なこと頼むか」
「えー、いいじゃねーか、な、俺お前にも俺と同じ本読んでほしーし」
「……興味ない」
「えー」
お前ほど雑多に勉強なんかできるかと言って、ラウロは今日の予定を思い出す。
そういえば午後は剣技で、それだけだったはずだ。
「あ、俺午後の授業変更された」
「どうなった?」
「ん、なんかなー経済学の授業お休みになった」
「そうか」
他愛ない会話。
他愛ない日常。
話す友人。
巡る時。
日常は同じことの繰り返しではなく積み重ねだ。
だからある日突然、天変も訪れる。
「次は同じ授業だな」
「おう、早くいかねーと前の席とれねーよ」
そう言って駆け出したリーヤの後を追いながら、ラウロは呼び出された教師に言われた事を思い出していた。
「――僕がですか」
「ああ、君もここに来て四年近くになるし」
「……考えさせてください」
「君の自由だからね、好きにするといいよ」
突然言われた。
ハルモニアのクリスタルバレーで、学問をやる気はないか、と。
ここよりもより高度な事を、専門的に学べる。
学費は特定の試験に合格すれば免除されるという。
君ならば我々も胸を張って送り出せるんだがね。
そう言われた。
勉強はしたい。
そのためにはクリスタルバレーへの留学は願ってもない事だった。
今もできる限り軽減できるようにはしているが、完全に学費はただではない。
それが免除されるなら、親の負担も減らせるだろう。
ただの道具屋の長男なのに、こんな事ばかりで申し訳ない気もあった。
親のあとを継ぐとか、そういう事を考えるべき歳なのに。
迷う事なんか何もない、きっと姉あたりに相談すればそう言われるだろう。
だけど。
「ラウロっ、今日晩飯、俺魚な」
「じゃあ僕は鳥か、ああ牛でも食べるかたまには」
「ん〜……なあなあおばちゃん、今日ソース何」
「今日のソースはチーズソースだねぇ」
じゃあ鳥と牛、と言ってリーヤは自分が鳥を取る。
ラウロは自然と牛を取って、二人で向かい合わせになって席に座った。
手際よく肉を切り分けたリーヤがラウロの皿に鳥半分を置き、ラウロは自分の肉を切り分けてリーヤに渡す。
他の生徒は二人に近づいてこない。
だから、彼らの周辺だけどんなに混んでもぽっかりと空間が空いていた。
お互いだけに話し、互いの一日を語り合う。
二人の夕食はいつもこんな感じだった。
「でさー、そいつ言うこと間違ってんのに気付かねーでさー……おい、ラウロ、きーてんのか」
「ああ、間違って?」
「……ぜってーきーてなかった」
じと目で見られてラウロはそんな事はないと涼しい顔で言いながら水を口に運ぶ。
だがリーヤは絶対聞いてなかったーと繰り返した。
「あ、そーだ、呼び出しって何があったんだよ?」
「たいしたことじゃない」
「なにー?」
「……ただ」
そう言いかけてラウロは躊躇った。
どうしてだか、言いたくなかった。
言わない方がいいんじゃないかと、思った。
「この間出した課題をほめられらだけだ」
「へー、すげーじゃん。あ、んでさーそいつってばよー」
疑問が解けていつもの調子でしゃべりだしたリーヤに相槌を打ちながら、ラウロは遠いところで考えていた。
部屋に戻ると、自分のではない本があって首を傾げる。
夕食の時にリーヤのそれと混ざったか。
まだ消灯時間ではないので、返しに行こうと思って部屋を出る。
ノックをすると、入れよと言葉が返った。
「よく僕だってわかったな」
「俺の部屋に来るのはラウロしかいねーもん」
そう言って本を受け取ったリーヤを見て、ラウロは苦笑する。
「僕しか、か」
「? なんで笑ってんだよー?」
「別に」
「あ、そーいやーさ、聞きてーことあったんだ、きてきて」
手招きされてリーヤの机の前に立つと、雑多な本が一面に広げてあった。
「何やってるんだお前」
「転移術」
「……できるかンなもん」
「やっぱそー思う? でもよー、応用できたら便利じゃね? 原理はわかってんだけどなー」
うーんうーんと唸る友人を見て、ラウロはくすと笑う。
なんだよーと言い返されて、笑いながら首を振った。
「別に、僕は戻る」
「あ、うん。じゃあな」
また明日なーと笑顔で手を振られ、ラウロは扉を閉めた。
留学するか、しないか。
それを考えて最初に思い浮かぶのは、彼の事だった。
一日ずっと考えていたけれど。
答えは決まっている気がした。
一礼して、ラウロはすいませんと答えた。
「そうか……いい話だとは思ったんだがな」
「僕はここが好きですから」
「まあ、これきりということもないかもしれないしね。その時はまた」
「……はい、すいません」
「いいや、気にすることはないさ」
正式に話を断って、ラウロは廊下を歩いていた。
妙に悩んだけど、今はすっきりしている。
「あ、ラウロ! 次何の授業? 俺今日の午後あいたんだけど」
「僕もあいてる」
「ならさ、本屋行きたい」
「そうだな、昼食食べたら下りるか」
「おう!」
そう言って笑うと、リーヤはラウロの手をとった。
ぐいぐいと勝手にこちらのことを考えない力加減で引っ張っていく彼に、重い荷物を抱え直してなんとか追いつく。
やっぱりこの笑顔と手は。
天秤にかけられないものだなと。
自分がいないと、彼はダメだろうなと。
加減のない友人に足を止めて怒鳴る前に、ちらと思った。
***
留学オファー来てたんですがラウロは蹴ってます。
リーヤはそんな事知りません、ええ知りませんとも……。