<幼き日の悪夢>
ふ、とラウロは本から視線を上げた。
とっくに消灯時間は過ぎているのだが、リーヤの部屋には明かりが点っている。
図書館に新しく入った本を借り出してきて、二人してずっと読んでいたのだが、今は何時だろう。
夜風が吹き込む窓からラウロは空を見上げる。
星の位置でだいたいの時間の見当は付いた。
「……まず」
「どうしたー?」
「今夜はこっちに泊まる、夜明けまでの時間のほうが短そうだ」
「……帰れよ」
「忍び足が面倒なんだ」
明日はどうせ休みだし、寝坊したっていいし、お前の部屋にいれば朝起きて本が読める。
そう言って床に本を枕にして寝転がったラウロに、リーヤは呆れた視線を向ける。
「風邪ひくぜ?」
「……今は晩夏だ」
ひくわけないだろと返されると、リーヤはそうかよと答えて照明を消すとベッドにもぐりこんだ。
「……ラウロー」
「なんだ」
「寒くねぇ?」
「別に」
「……そかー……」
「……一緒になんか寝ないぞ」
「わーってるよ」
おやすみなっとリーヤが言って、室内に沈黙が落ちる。
しばらくして、二人の寝息が響きだした。
―――っ……やっ……やだっ!!
「!?」
いきなり聞こえた悲鳴じみた声に、ラウロは上半身を跳ね上げる。
寝起きでぼおっとするはずの頭は、次の瞬間完全に覚醒した。
「やだっ……いやだっ」
「リッ――……」
忍び込んでくる夜明けの明かりの下。
びっしりと額に汗を浮かべたリーヤが、両手できつく掛け布団を握ってうなされていた。
「くるな……いやだ……ころさ、ない、で」
「なっ……おっ、おい、リーヤ!」
慌てて友人をゆすっても、深く眠っているのか反応がない。
硬く閉じられた瞼の裏で、彼は何を見ているのか。
「ごめっ……ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「リーヤ!!」
再三度の呼びかけにも彼は答えず、業を煮やしたラウロは思い切りその顔をひっぱたいた。
「起きろこのボケ!!」
「いやだぁっ!」
「起 き ろ !」
耳元で大声で怒鳴り、無理矢理上半身を引っ張り上げる。
がくんと傾く体を支えるため、長い髪をとっさにつかんだ。
「っ!?」
「……起きたか」
かっと目を開いたリーヤに安堵して、ラウロはベッドのそばの床にへたり込む。
「なんつー悲鳴だすんだお前は……こっちが死にそうに……リーヤ?」
返答のない相手を見上げると、その頬をぼろぼろ涙が伝っていた。
「どうした」
「っくっ……」
「泣いてるだけじゃわからない。まあ……言いたくないならいいけど」
落ち着くまで出てるから、と言いながら立ちあがったラウロに、後ろからリーヤがしがみつく。
「いくなっ」
「……リーヤ」
「……悪ぃ……けど……一人にしねーでほしい」
背中に額を押しあてて、くぐもった声で言った相手に、ラウロはわかったと答えて自分の体に回されたリーヤの手を撫でる。
「わかったから離せ、苦しい」
「……ん」
呟いて少しだけその力が弱まるが、それでも痛いに変わりはない。
「おい、リーヤ」
「ごめん……でも、ほんと、離れな……」
「……まったく……お前にそんな癖があったなんて初耳だ」
盛大に溜息を吐くと、いつもの彼らしくない殊勝な返事が返ってくる。
「……最近ぜんぜん……ホント、なかった」
「ここに来てから何回目だ?」
「……三回目」
「僕がいない時はどうしてたんだ」
「……ずっと、起きてる」
「なんの解決にもなってないだろ」
少しずつ息が苦しくなってきて、ラウロは呼吸を整える。
「リーヤ、苦しい」
「……ん」
「ちょっ、ほんと堪忍してくれ……そのままでいいから、どこにも行かない」
「…………」
それでようやっと動けるくらいにまで緩められた腕は、それでもまだラウロの回りにあった。
「落ち着いたか?」
とりあえずベッドの上に戻して座らせる。
「……頭、撫でて」
「僕はお前の母親か……」
ぼやきながら、ラウロは拘束から抜き出した手でリーヤの頭を撫でる。
「俺、かーさんなんかいねーもん」
ラウロの動作に目を瞑って、リーヤはラウロの肩に頭を乗せる。
「ぜんぜん覚えてもねーもん、俺は二つの時に路地裏に捨てられたんだ」
「…………」
「ガキは俺だけだからって、いろんな人が世話してくれたけど」
砂嵐がだんだん激しくなっていた。
普通の家に住む人たちは、徐々に引っ越しだした。
砂漠の下にこの町は埋もれるのだという。
「俺らは……逃げる金も場所もねぇから」
残るしかなかったのだ。
死が最後に待つその町に。
絶望と戦いながら。
「……すぐ、食い物は尽きて」
ごみを出す住民がいなくなった。
食べ物を売る店も一つ一つと消えていった。
人が徐々に減っていく。
「朝、目を覚まして、思ってた」
――また今日も生きるのか
「……食うもんも、飲むもんも、何もなくて」
「リーヤ」
「……世話、してくれてた人が」
ある日突然、刃こぼれしたナイフを振りかざして、向かってきた。
それが何を意味するか、リーヤはよく知っていた。
「俺は、殺されて、食われそうになった」
「…………!」
「……フツーだったんだ。最初は死んだじーさんからで、あとは弱った奴とか順番に。骨とか血も、全部貴重だった」
それも尽きて、町に残っているのは本当に少数になって。
ついにリーヤの番が回ってきた。
「俺は逃げて……必死に逃げて……それでも捕まりそうになって」
追い込まれた先で振りあげられた刃を見て、もうだめだと思った。
死んで食われるのだと。
これまでか、と。
「……嫌だった……死にたくなかった……」
追い詰められた子供は信じられない反撃にでた。
男の手首めがけて噛みついた。
ひるんだ相手が落としたナイフを拾って。
それで。
「……っ」
「……それで?」
「……俺は」
どうやったのか、おぼろげだ。
だけど、それは事実だ。
「殺し、た」
必死だった、がむしゃらにナイフを振り回した。
五歳の子供の力なんてたかが知れているだろうに、それでもそれは可能だった。
「それで、それでそれで俺はっそいつをっ」
「もういい!」
ラウロの一喝に、リーヤはびくりと体を震わせる。
「……もういい、そんなこと聞いたって、僕にはどうしようもない。お前も言ったって仕方ないだろ」
肯定か否定か、リーヤの頭がわずかに動く。
「何度も見るのか」
「……うん……前は、ルックか、クロスが、撫でてくれた……」
「そうか」
長いリーヤの髪をラウロはゆっくり撫でる。
朝日が徐々に昇って、空が赤から青に変わるまで、ずっとそのまま撫でていた。
「落ち着いたか」
「……ん」
ようやくラウロから離れてこくり頷いたリーヤの姿に、ラウロはそうかとだけ答えるとベッドからリーヤを蹴り落とす。
「ってー!? 何すんだいきなりっ!」
「僕は寝る」
「はっ? そこ俺のベッドじゃねーか!」
「誰のせいで半徹したと思っているんだ。ああ、本は返しとけ」
それだけ言うと布団にもぐりこんで目を瞑ったラウロを呆然と見ていたリーヤは、ちえ、と小声で呟いて返却する分の本を持ち上げた。
***
……orz
なんかリーヤのトラウマが思ったよりすごい事に。
こんな過去があるから彼はラウロに逆らえません……。