教室に一人入ってきたリーヤはきょろきょろと見回し、目的の人物を見つけて笑顔で手を振った。
「ラウロ―!」
「…………」
完全に無視されて、リーヤの笑顔が引きつる。
ここ数日、そんな事ばかり続いていた。





<親友の境界線>





「俺がなんかしたのかよー……」
食堂で呟いても、入学してまだ一ヶ月のリーヤには、愚痴れるような相手もいない。
ここの寮はだいたいが相部屋だが、リーヤにはまだ同室の人間がいなかった。
「くっそー、テッドのばっかやろー」
ここに自分をひっぱってきた張本人にあたっても、なんの解決にもならないが。

「おや、リーヤ君。食事かね」
「あ゛ー……」
声をかけてきた初老の男性を見て、しばらく口を開いたまま止まるリーヤ。
温厚そうな口元をひきつらせて、相手は返す。
「……政治学の教授だよ」
「おっ、そっかー。なんか用?」
にかっと笑ったリーヤにほとんど分からない溜息を吐いて、教授は彼の前の席に腰を下ろした。

薄茶の髪をリボンで結い上げているわずか十の少年は。
政治学のレポートは教師が読んで唸る出来だった。
経済、その他彼の選択しているほとんどの分野で、どの教師も目を見張る評価をたたき出している。
教授自身、幾人もの生徒を見てきたが、この生徒の場合何かが違う気がした。

天才、と括るは簡単だが、彼は素地がない状態で入学してきたわけでない気がする。

「君は、歴史にも詳しいそうだな?」
「……えーっと」
「どこで学んだのか、ぜひ教えてもらいたいね。神学にも興味を持っていたそうなのに、どうして選択を止めてしまったのかね?」
「んなの俺の勝手だろー?」
むっとした表情を浮かべたリーヤに、いやいやと教授は言葉を濁す。
「そう言う意味ではなくてね。政治に興味を持ってくれたのは喜ばしいし」
「俺思うんだけどさー、どんな知識も使わなきゃ無意味だって」
「……? そうだね」
「だからっさー、べっつにー、将来国の中枢に行くつもりもねーし、政治経済なんて何の役に立つのかわっかんねーんだけど」

ピキ、と固まった教授にアカンベをして、リーヤは立ち上がる。
じゃねーじいさんと快活な声を投げつけて、くるり背を向け退散。
駆け足でドアを押し開け、ふがっと言う音と共に倒れた人を見もせず、一目散に図書室へと向う。

「ラウロッ」

バッターンと言う派手な音を立てて中にずかずかと押し入り、読書していたラウロの腕を引っつかんで外へ引きずり出した。
ずるずると掴まれていく彼は不気味なほどに無抵抗で、中庭に連れ出されても、顔色一つ変えない。

「あのなラウロっ」
ようやっと手を離して振り返ると、もう相手はこちらに背を向けて戻ろうとしている。

「らーうーろっ!!」
怒鳴って自分より高い相手の肩を引っつかんで、無理矢理こっちに顔を向けさせる。

「……なんだよ」
「なんだよ、じゃねーよっ、散々シカトしくさってっ」
「僕にお前を構う義務でもあるのか」
「顔合わせたら返事ぐれーしろよなっ」
「――友達でもなんでもない相手になんでそんなことしなくちゃいけない?」
「……え?」
「僕は先生に頼まれたからお前の面倒を見ていただけだ。もうここにきて一ヶ月経っただろう」
くるりと背を向けたラウロは、そのまま靴音高く歩き去る。
中途半端に上げられた手を、ふらと下ろして、リーヤは唇を噛み締めた。

「――……ラウロ」
「…………」
答えない相手に、背を向けて、リーヤは走り去る。
その気配がなくなってから、はあとラウロは溜息を吐いた。
最近、アレといると苛々する事が多いから、いいかげん縁を切ろうと思ったのだが、やたら相変わらず付きまとわれている気がする。
あれだけ賑やかなら、他に友人ができないわけでもなかろうに、何だってあんなに付きまとうのか。

「…………」
苛々の原因には、心当たりがある。
だけどそれには、直面したくなくて。
「……っ」
逃げている。

だって。
だって。
―――彼は、本当になんでも知っていて、なんでもできて。
少しは自分の実力に自信のあったラウロは、それが砕かれたのだ。
側にいるからこそ、やたらと気になる。
きっとこういうのが、器の違いというものなのだろうけど。

それでも、隣にはいたくなかった。










三日間、周囲にリーヤの影もなかったので、どうやら離れてくれたらしいとラウロは安堵する。
同じ授業を取っているので、教室ですれ違うくらいはするが、それ以上は何もなかった。


図書館に寄っていて遅くなったが、夕食をとろうと食堂に向って、ラウロは入口で足をとめる。
ぽつり賑やかな輪から外れて、窓際で食事をしている後姿。

ああ、そうだった。
彼も、自分と同じく、はじかれる存在だったのだ。


――うっめー! ラウロラウロっ、ここのメシ美味いじゃん!
――ほら、俺のやるからさっ、お前のと交換なっ、交換!
――半分ずつすりゃどっちも二つ分食べて四倍になるだろ?


つまらなそうにフォークを食事に突き立てて。
かといって賑やかな輪に眼差しを送るわけでもなく。
……彼が自分の前で賑やかだからとて、あの輪に入り込めるわけでもない事は、分かっていたのに。
分かっていたけど、突き放したのは。

淡々と食べているリーヤを見ていて、何か間違っている気もしたけど。
それでも、声をかけるとか、そんな行動は取れなくて。

「あら、ラウロ君。遅かったわね」
「あ……はい、すみません」
「リーヤ君待ってるわよ? さっきからずっと」
「……そうですか」
一緒に食べるつもりはなかったのだと、そう言ってしまえばいいのだけど、それも言えなくてラウロはトレーを受け取ると、リーヤの座っている方へと歩き出す。
どのみち、騒いでいるテーブルに座るつもりもないし、座れない。
リーヤの横を通り抜け、その先のテーブルに座ろうと心を決めて、静かにリーヤの座る椅子の横を通り抜ける。

「……ラウロ」
「っ」

ぼそりと呟かれた言葉が、ラウロの足をとめる。
前に行け。
前に行け。
そう、足に指令を送るのに、ぴたりと止まって動けない。

「俺の友達になって」
「……は?」
「俺のダチになって。な? いいだろ?」
思わず振り向いたラウロの見たリーヤは。
何時ものようないたずらっ子の笑みではなくて。
酷く寂しそうで。
そして苦しそうな顔だった。
「――な? 俺の、友達になって」
「……リーヤ」

必死に訴えるこの小さい知り合いの前で、ラウロは自分の感情を反芻した。
どうして彼を避けていたか。
彼が隣にいると自分が劣等感を抱くからだ。
なぜ劣等感を抱くのか。
彼が自分より優れているからだ。
そんな自分は浅ましいか――とても。

「僕は……僕は君が羨ましくて、嫉妬して、それで避けたんだ」
「なんで」
「それは――僕よりできる生徒がいると……」
そう、認めたくなかったんだ。
ずっと、優等生だったから。
「……僕よりできる君を見てるのが、不愉快だった」
「なんで」
「なんで、って」

「人よりできんのって、そんなに大事?」
「そりゃ……まあ」
「自分にできることをやって、それでも劣るのってそんなに嫌か?」
「……だから」
なんて真直ぐな目でそんな事を言えるのか。
だから僕は君に嫉妬したんだ。

きっと彼を育てた人は、妬みとか僻みとか、人の汚い部分を何も教えなかったんだろう。
或いはその人にもそんなものが一切なかったか――どちらにしろ、奇跡のようだ。

「できること、自分の力の範囲でやりゃいーじゃねーかっ」
「それはそうだけど――でも、」
溜息を吐いてラウロはリーヤの正面にトレーを置き、椅子を引いて腰かける。
「でも、僕は君に嫉妬した」
「なんで」
「……僕にできない事が君にはできるから、だ」
「俺は俺の友達になれねぇの」
「は?」

何言い出すんだこいつは、と思ったラウロが呆気に取られている間にリーヤは言った。
「俺の友達はお前しかいないだろっ」
なんでそこに話題が行くんだろう。
むしろ今までのこっちの告白を聞いていたのだろうか。
ばかじゃなかろうか。

「――友達になれよ、ラウロ」
「ついに命令形……」
呆れて思わず笑ってしまったラウロは、まだ温かい自分の皿の上の肉を半分にすると、ほとんど手をつけられていないリーヤの皿の上の魚を半分に切る。
いきなり自分のさらに手を伸ばされて驚いたリーヤの前から、とっとと魚半分を失敬すると、自分の方の肉半分を彼の皿に入れた。

「半分」
「……あ」
「冷たい。焼魚は温かい内に食べるのがマナーだろ」
「……お、おう」
「お前と長話してるから肉まで冷めたじゃないか」
「……わりぃ」
「今度はちゃんと温かいうちに分けとけ」
「っ――まかせとけ!」

ようやく笑顔になったリーヤの前で、ラウロはもくもくと遅い夕食を取り続けた。


 

  

 
***
親友記念日(何ソレ