見上げてくる目は自分と同じ深緑。
しばらくじっとそれを見てから、小さく溜息を吐いた。

傍らの人が、優しく微笑んで手をとった。





<拾い子>





「荒れてる、ね……」
「…………」
荒れているというよりはすさんでいると言った方が正しいだろうか。
腰から剣を 引っ提げているクロスはともかく、小奇麗な格好をしているルックは明らかに浮いている通り。
砂漠の中にあるこの町は、近年砂丘移動の餌食になりつつあり、物資の供給がままならず、だんだんと没落の一途をたどっていた。

ふと、彼ならどうするだろうと貿易に長けた友人を思い返してみるが、恐らく打つ手なしだろう。
人の集まらない所に市は立たず、需要がなければ供給は途絶える。
この町は、あと五年もすれば滅びる、砂丘がすっぽり覆ってしまう。
町の人までもが滅びるわけではないから、それが救いだと言ってもいいか。

隣を歩いていたルックが足を止める。
砂避けにと白っぽい上着と一体となっているフードを頭からすっぽり被っているため、その表情は分からないが、視線が動いたのを察してクロスは自分のフードを少し右手で上げ、彼の向いている 方を見る。
土で作られた家の壁に寄りかかるように、道に腰をおろしている人々。
彼らの前に布すらなく地べたに直接おざなりに商品が並べられている。
「どうしたの?」
小声で問うも、返事を返すことなく、ただ視線を向けている。

しばらく同じ方向を見ていたクロスは、ああと小声で呟いた。
座っているその老人は、骨と皮ばかりの腕と足で。
被っている布は、くすんだ色をしている。
彼は動かず――もう、事切れて長い時がたったのだろう、砂漠地帯のここでは腐る事もできないのだ。
「ルック」
もうこの町で宿は機能していない。
店も半分近くが閉まっていた。
砂丘に埋もれてしまう前に、残っている古書を買い取りに来たのだが、それももう終えた今、いち早くこの町を立ち去る事が肝心だった。
砂漠の夜は厳しい、無論、いざとなればテレポートすればいいが、それをするのはなんだか情緒がない。
「ルック?」
「……ん」
数度呼びかけると、小さく頷いてまた進行方向へと体を向ける。

「……しかたない、よ」
滅びていく町はある。
生まれ育った場所を離れたくなくて、あるいは離れる事ができなくて、町と命運を共にする人も、いる。
それを一々嘆いていては始まらないし、哀れんでも、仕方ない。
砂丘による浸食は、穏やかで緩やかで絶対的だ。
洪水と違っていくらでも予測できるが、その代わり水が引けば再建のめどが立つ、わけでもない。
「ルック?」
自分の隣にいない事を不審に思って、振り返ったクロスが見たのは、先程と同じ場所に立ち止まっているルックだった。
その視線は、彼の後ろへとやられている。
「どうし……」

数歩歩いて、その視線をたどれば、原因は分かった。
長く伸びたルックの服の裾を、小さな子供が掴んでいた。
身の丈から判断して、四、五歳だろう、ぼさぼさに長く伸びた髪は腰のあたりまであったが、その色は砂にまみれて判然としない。
浅く焼けた肌の奥に、緑の双玉がはめ込まれていた。

子供。
それも、ぼろきれのような服からのぞく四肢は、枯れ枝のように細い。
むくれた頬に、折れそうな半身、ぽっこりと奇妙に膨れ上がった腹。
……飢餓の、子。

じっとルックを見上げた子供は、強靭な力で裾を引っ張って言った。
「つれてけよ」
ぞんざいな物言いに驚いたルックが僅かにその表情を動かす。
子供は繰り返した。
「つれてけよ、俺をつれてけ」
「……親は?」
やんわりとクロスが聞くと、けっと子供は頬を歪めて言い放つ。
「親がいたらこんな格好してると思うのかよ?」
子供は再び言う。
「つれてけ、俺を外の世界につれてけ――っ」
その手はルックの服を頑なに掴み、まるで離す様子がない。
食べ物ならあげるよ、とクロスが言うと、子供はぶんぶんと首を振った。
「知ってる、ここはあともうしばらくしたら誰もいなくなるんだ」
「…………」
「外にいかないと、死ぬんだ。俺は知ってる、町のみんなはどんどん外にいく、俺はいけない、俺はここにいると死ぬ」

つれてけ、俺を外につれてけ。

まるで呪文のように繰り返し繰り返し子供は唱える。
ルックは無言のまま、彼の手を払う。
だが、子供の手は離れない。

「ぜったい、離さねぇ」
両手でしがみ付いて、子供は言った。
「死んでもねぇちゃんの服、離さねぇからな、外にいくんだ、外にでるんだ」
「…………」

必死に、本当に必死に自分の服にしがみ付く子供を見つめ、ルックは溜息を吐く。
クロスが微笑んで、子供へ手を差し伸べた。
「片手、かして」
「……なにすんだよ」
「離れないように、手をつなぐんだよ」
おずおずと差し出された左手をとって、クロスはいいよと言う。
ルックの魔法が発動し、三人の姿はそこから掻き失せた。





戻ったのは砂漠際の最寄の町。
きょとんとした顔の子供は、辺りをきょきょろと見回すと、肩の力を若干抜く。
「ここ、どこだ?」
次の瞬間、ぺしぃっといい音がして、ルックの手の平が子供の頭の上に振り下ろされた。
「いたっ! なにすんだよっ」
「ここはどこですか、だ。このもの知らず」
低い声で言って、ルックはフードを取る。
現れた美貌に子供は一瞬目を見開いて、次にふてぶてしい態度に戻った。

「たたくことねーだろっ」

ぺしっ

「いてっ、このぼうりょくおんな!」

べぢっ

「……痛そ」
傍らで見ていたクロスがくっくと笑い、ルックは据わった目で子供を見る。
「年上への口のきき方を知らないの」
……旧知の人物が聞けば「お前だって知らないだろうが」と突っ込まれそうだが。
特に、初対面で色々あった人とか。
「へっ、つれてきてくれてあんがとーでした。まんぞく?」
「…………」

 ガコッ

ルックの拳が子供の脳天にクリティカルヒットし、いってーっと叫び声を上げた子供はその場にうずくまる。
道行く人々は、元々ここが賑やかな通りなのであまり気にしていないようだ。
「なにすんだよっ、いってーんだぞっ!」
涙目になって噛み付いてきた子供に、ふんとルックは鼻を鳴らして、見下ろす。
「お望みなら戻すよ?」
「……にげるがかちっ!」
ばっと立ち上がり走り去ろうとした子供を、後ろから軽々とクロスが抱き上げる。
おろせーと喚く子供に、からからと笑いながら良い子良い子と頭を撫でた。
「名前は?」
「……ねぇよ」

え? とクロスが呟くと、子供は視線を落としていった。
「俺、二つでろじにすてられた。名前は、しんねーんだ」
あそこは俺しかガキがいなかったから、ガキガキ呼ばれて育ったし。
そう語った彼をそっと下ろして、クロスはそうなんだと低く呟く。
それとは対照的にあっそ、とだけ呟いて背を向けたルックは、数歩歩いて振り返った。

「なにしてんのさ、クロス、リーヤ」
「……え?」
「自分の名前がわかんないの? バカにでもしとく?」
「りーや?」
「君の名前だよ」
微笑んでクロスが子供の頭を撫でた。
「一緒においで、君がよければ」
「……つれてってうりとばすのか?」

怪訝な瞳で言われた言葉に、クロスはぷくくっと笑った。
「あ、あいにくそれほどお金に困ってもいなければツテもなくて……」
「とくがねーならなんで俺のせわなんかすんだよっ!」
数歩先を歩いていたルックが、くるり踵を返して戻ってくると、真顔で子供の額にデコピンをかます。
再びいてーっと叫んでうずくまった子供を見下ろして、鼻で笑った。

「黙って付いてくる。とりあえず体洗いに行くよ」
「じゃあ僕は宿屋の予約と服そろえてこようかな」
「靴もね」
「子供服は女の子物しかないもんねえ、いっそ盛大に買ってくる?」
「そうして、一々出るの面倒」


目の前で繰り広げられる会話を目を丸くして聞いていた子供は、その目でじっと二人を見上げて、真顔で聞いた。
「あんたたち、なんの話してんだ……?」
「「リーヤに必要そうな物の話」」
「なんで……まさか俺をつれてくのかよ?」
「そう言ったのはリーヤでしょ」
「つれてってって言ってたよね?」
「ひ、ひきとる、ってこと、かよ?」
怯えたような目で問われて、クロスとルックは頷く。
ふるふると小さく首を振りながら、子供はその場に崩れた。

「んなことたのんでねぇよっ……!」
「それは子供の理屈です」
「こっちにはこっちの理屈があるわけ」
ばかじゃねぇのおまえら、と呟いた子供の頭をわしづかみにして、笑顔で顔を近づけクロスは言った。
「つべこべ言わないでとっとと身体洗って服を着替えなさい、わかった?」
「…………」
「返事は?」
「…………」
「お返事はないのかな〜?」
「は、は、はいっ!」
「よろしい」

にこり笑って子供を解放して、クロスはじゃあ僕はとりあえず買物ねと片手を上げて別れる。
へたり込んだままの子供に、手を差し伸べる事なくルックは言った。
「あっちがクロス、僕がルック」
「……ぁ……ぁ」
「クロス、怒らせると、怖いから」
気をつけなよねと今更な忠告を言って、ルックは数歩歩み、呆れた顔で振り返る。
「リーヤ、夕暮れまでへたり込んでる気?」
「お、おれ……」
「リーヤ」
「…………」
「呼ばれたら返事!」
「っ、はいっ」
「とっとと来るっ」
「はいっ」

ぴょこっと立ち上がって、とたとたとルックの隣に並んだリーヤの、折れそうに細い手を、ルックはそっと握る。
「……あのさ」
「なに」
覗うような目の色で見上げてきた彼の手は、かすかに震えている。
「あんたって」
「ルック」
「……ルックって、もしかして、男?」

「……リーヤ、二度目はないよ」

冷やかな声で返して、ルックは幼子の手を引いて、雑踏の中へと消えていった。


 

 


***
クロスに様をつけなくてはいけない気がするこのごろです。
ルックに甘いのでかろうじて逃れているような。

セラには甘かったようなので厳しく子育てに励んでください
……ムリか?