<マクドール家の真実>





年若い青年の声に、父親は少し目を細めて入室許可を出した。
「失礼します、父上、貿易の件ですが」
そう言ってまとめた書類を父親の机の上に置き、フルト=マクドールは姿勢を正す。
「デュナンと積極的な交易はいいでしょうけど、ここまで偏る必要は」
「デュナンとの交易は昔から優遇しているんだよ」
「おかしいですよそんなの」
フルトの言葉に父親は苦笑した。

息子のまとめた書類は確かに良くできている。
できているのだが。
「父上はマクドール家当主でしょう?」
「あー……いや……」
「当主として、マクドール家のより一層の繁栄のため……」
「……フルト、お前にはそろそろ言おうと思っていたのだが」
「絶対、今度の会議ではそれを通させていただきますよっ」
会議と言うのは定期的に行われるマクドール家親族会議である。
フルトの父親が議長を務め、マクドール家が関与するさまざまな事業の責任者が集い、予定を立てる。


「……フルト、あのな、こう言うのは心苦しいが父は実は当主代理であって当主ではないのだよ」
「はい?」
「おい、家系図を持ってこい、一番古いものだ」
「はっ、畏まりました」
側に控えていた召使にそう命じると、暫く待つまでもなく古びた羊皮紙を持って現れる。
「こちらでございます」
「いいかフルト、よく見ろ」

父親が指差した場所には、フルトの名前がある。
その上には父親。
そのさらに上には祖父。
そこからずーっとさかのぼっていくと、一番上に巻かれていて隠れて見えなかった部分に分岐点があった。

「ここだ、お前のずっと先祖の方は、実は分家なのだよ」
その従兄弟筋にあたる人間の名は。
「テオ=マクドール。彼こそが赤月帝国にその人ありといわれた名将だ」
その歴史上の人物から、一本だけ降りた線のところに記されていた唯一の名前。
「読んでみろ」
「シグール=マクドール。二百年前トラン国を統一し豹変した皇帝を倒した英雄」

読むまでもなく、その人物の名前はこの国の人間なら誰でも知っている。
恐らく国内で一番多い男の子の名前トップスリーに入っているだろう。
「本当の直系はこの方、我々は所詮分家なのだよ」
「……しかし」
「親族会議をどこでやるか知っているだろう?」
「……ええ、レナンカンプの屋敷ですよね」
「あそこがマクドール家本邸だ」
「……はい?」

息子に言われて父親は苦笑した。
「しかし父上――ならば当主はいったい」
「……待て。一、二……フルト、今年は父の代わりに責任者として行ってこい」
「はっ?」
「全権はお前に任せる、何、もう二十四だ、問題はあるまい」
「は、はあ……」
「企画も提出したければしてこい」
「……はい、わかりました――それでは、失礼します」
一礼をしてフルトが去っていくと、危ない危ないと父親は冷や汗をぬぐう。

「今年は彼の方の参加だった……!」
もう二度と会いたくはないものだと、いい歳の男性が青ざめたまま呟く。
「すまないフルト、逞しくなって帰ってきてくれることを父は信じている!」
無言で家系図を片づける召使は、一体旦那様は何言っているんだろうと首を傾げた。















レナンカンプの屋敷は、他のマクドール家のどの屋敷よりも古く大きい。
使用人総数四百。下手な国の城よりでかいだろう。
「フルト様、いらっしゃいませ」
「ああ」
フルトは現在残るマクドール家の中では――先日の父の言葉を借りるなら分家だが―― 一番濃い血筋を持つ家系の嫡男である。
将来はマクドール家を引っ張っていく有望株として、教育を受けてきた。

尊敬するのは父親。
それが、当主ではなかったと聞いてショックを隠せていない。

「執事長はいるか」
「はい、すぐに連れてまいります」
手近な使用人に声をかけると、一礼して待つことなく初老の男性が現れる。
「何かありましょうかフルト様」
「……聞きたい事がある」
「はい」
「マクドール家の当主が、父上ではないと言うのは本当か?」
「…………」

暫く黙ってから、執事長は微笑んだ。
「左様でございますね」
「誰なんだっ!? トラン建国記念式典に出席したのも、諸々の代表は全て父上がなさっているんだぞ、だとすれば当主というのは――」
「それは、私の口からは申し上げられません事で」

ただ、と執事長は人の悪い笑みを浮かべて言った。
「このたびの親族会議、当主様自らのご出席でございます」
「なにっ――それは、本当かっ!?」
「はい、ですからお会いになる事は可能だと思いますよ。スゴイ方ですし」

その後は保障いたしませんが、とは言い添えず執事長は一礼して彼の部屋を後にする。
先に警告してしまったらつまらないし、彼が素直にそんな警告を受け入れるとも思えなかった。










もう少し練り直そうとまとめた書類案を片手に、書庫を探してうろついていたフルトは、歩きながら書類を見ていたため、角から歩いてきた人物とぶつかってしまった。
「うおっ――平気、か?」
フルトの手から落ちた書類を空中で掴み、ついでにフルトの身体も捕まえて、バランスを保った茶の髪をした青年は、心配そうな顔で問う。
「怪我は? 読みながら歩くなよ、危ないだろ」
「……君、は?」
見ない顔だが、四百近くも使用人がいるのなら仕方ない。
末端であればフルトの顔も知らないだろうから、無礼なと咎める気もしない。

「俺? 俺は――っつーかお前は……? あ、げっ、ひょっとしてマクドール家の?」
「そうだ」
「うわ、失礼しました」

そう言って慌てて頭をぺこっと下げた彼に、フルトは微笑む。
どうやら年齢はフルトより若干下のようだ。
「こんな所で何をなさっていらっしゃるのですか? こちらは厨房行きですよ」
「ああ、そんなところまで来てしまったのか。考え事をしていたからな」
「書庫ですか? ご案内します」
手に抱えていた書類を見てそう言った彼に、フルトは頷く。
「君の名前は?」
「テッド、と」

そう言って歩き出したテッドの後ろについて行くと、しばらく歩くまでもなく書庫についた。
書庫には門外不出の物もあるため、厳重に鍵がかかっている。
だがその扉が軽く開いていて、無用心だなとテッドは眉をしかめつつ扉を開けた。
「おや……?」
中に入ったフルトは首を傾げた。
書庫の奥の方にぼんやりと明かりが見える。

まあ扉が開いていたのだから誰かがいるのは確かだろうが、一体誰がいるのだろうか。
早くについた伯父や親戚だろうかとフルトが考えていると、彼の横を通り過ぎ、テッドが奥まで歩いて行く。
後を追いかけていけば、黒髪の少年が机の上にうつぶせになっていた。

「おい、起きろバカ」
ぽかりとテッドに殴られ、少年はうめいて呟く。
「うっさいテッドー」
「お、き、ろ。何時からここにいたんだ」
「えーっとねー……テッドが出かけてから?」

ほとんど朝からじゃねぇかと呟いて、テッドは少年の突っ伏していた周りに散乱している書類をまとめ始める。
フルトもちらとそれらが見えたが、それは自分が探しにきた物と同じだった。
過去の、決算表。
「ああ、それは私も読みたい」
「これですか? どうぞ」
「テッド、その人だれー?」
「……マクドール家の方」
「へえ、若いね」

お前な、と呟くテッドににこりと微笑んで、椅子から立ち上がった少年は机の上に積まれた書物を叩き、にっこりとフルトへ微笑んで言った。
「これ、過去二十年分の決算書」
「あ、ああ――ありがとう」


それじゃあ僕仕事あるからあとでねー。
そう言って出て行った少年を見送って、フルトは首を傾げた。
あれほど若い使用人を雇っていたのか。
それに、どうして一使用人の身分でこんな部屋にまで。
掃除か?

「それでは、俺も失礼します」
「あ、ああ――」





書庫を後にしたテッドは、入口前で待っていたシグールの頭を小突く。
「ったく……何してたんだ」
「貿易関連の見直しをしようかと思ってね。ほら、デュナンをかなり優遇してたから」
「関税値は通常までとっくに下げただろ?」
当たり前、と言ってシグールが欠伸をする。
「セノが王座についてるし、いい機会だから交易幅を広げるべきでしょ」
「ああ……」
「国内貿易も強化したいし」

俺はよくわかんないんだが、と前置きしてテッドは問う。
「今、トランの貿易状況ってどうなってるんだ?」
うーん、と考え込んでシグールは西棟に繋がる階段を上る。
今この屋敷に集りつつあるマクドール家のメンバーが入れるのは原則中央と東側で、西側はシグールの命により立ち入り禁止エリアだ。
「マクドール家が握ってるのが大体四割かな?」
「……うぉい」
「そういえば国務大臣になってくれって要請がご本人から何度もきてるんだよねー……自分でいいじゃんね、経済状況は僕がなんとかしてあげるしさ」
「……わかる気が……」

聞かなきゃよかったと若干後悔しつつも、完全に無職状態のテッドが食べるものに困らないのは、シグールが稼いでいるからである。
なんだか行き過ぎの感もあるが。

階段を上がり終え、書斎の前でシグールはテッドに微笑む。
「ねーテッド」
「ん?」
「会議資料の書き写しお願いv」
「……ったく、今日の夕飯はマグロだぞ」
「うん、一級品仕入れさせた」
「やったろうじゃねーか」
肩を回しつつ言うテッドの背を押して、笑いながらシグールは室内へと入った。










書庫の中で決算書記録に目を通していたフルトは、いくつか自分の持ってきた用紙に書き込み、立ち上がってはてと首を傾げた。
決算書を元に戻すのはいいが、書庫を開けっ放しでいいのだろうか。
「あれ、ルック……?」
つかつかと奥へ入ってくる足音の主は、机の前で立っているフルトを見てあれ、と呟く。
「……失礼しました。ご用はお済みになりましたか?」
にっこり微笑んだ赤いバンダナを巻いた彼は、手にもっていたランプをかざす。
「ああ」
「それでは、鍵を閉めさせていただいてもよろしいですか」
「……ああ」

フルトの後に続いて出てきて鍵を閉めた青年は、年の頃は先ほどのテッドと同じぐらいか少し下。
これほど若い使用人なのに書庫の鍵番をまかされているとは、かなりの信頼があるらしい。
「あ……君」
「はい、なんでしょう?」
「当主様って、どんな方か知ってるかい?」
「……当主様、ですか」
微妙な表情を作った彼は蒼い色の目を心持ち細める。
「ええと……スゴイ方、ですかね」
灰茶の髪を揺らして苦笑して答える少年に、フルトは首を傾げる。
さっぱり詳細がわからないのだが。

「……クロス、なにやってんの」
不機嫌顔で腕を組み、肩にかかるぐらいの金髪をさらりと流した、少年……?
「ああ、ルック……こちら、マクドール家の方」
「……どーも」
整った顔の少年は、それだけを言うと背を向ける。
どう見ても使用人にあるまじき態度だ。
「おい」
「……何」
声をかけると尊大な態度で返され、フルトは眉を寄せる。
「少しは礼儀をわきまえろっ」
益々不機嫌顔になるルックに、慌てたクロスが二人の間に入った。
「ルック、とりあえず謝りなさい」
「……なんで」

ふてた顔でクロスを見上げていたルックだったが、耳元になにやら囁かれると途端表情を緩めて膝を曲げ礼をする。
「初めましてマクドール氏ルックと申しますどうぞよろしく」
それだけを言うと信じられないスピードで去っていくルックを、クロスが苦笑して追いかける。
そんな奇妙奇天烈二人組を見送って、あんな使用人誰の一存で雇ってるんだと思いながら東棟にある客室へと帰っていくフルトがいた。















親族会議を開く場へ行くと、既に半分ほどの席が埋まっていた。
現(代理)当主の嫡男であるフルトは今回は父親の代行も務めるので、席は必然的に上座になる。
テーブルを挟んで真正面に空いているのは。

「……伯父上、あちらは」
「そこは当主様の席だ」
「父上が当主ではないなら、一体誰が当主なのですか?」

視線を逸らし伯父は沈黙する。
ここへ来てからフルトは親戚や使用人や執事やと様々な人間にあたってきたが、皆の反応は二分だった。
方や無言で何かに怯えるように視線を逸らし、方やスゴイとただその一言。

「まあ……わかる、そのうち」
「大体っ、去年もその前も出席して」
「当主様は二十年に一回のご出席だ」
「……二十年」
「そう、二十年」
「……は?」

ちょっと待ってください伯父上、それは一体どういう事ですか。
そう尋ねる前に伯父は自分の席に座り、時刻になったのだろうほぼ全員が席につく。
空なのは、当主の座、だけ。


「ああ、お待たせ」
きいという軽い音と共に、部屋の奥のほうの扉が開き、そこから黒髪の少年が出てきた。
後ろには書類らしき物を抱えた茶髪の青年。
「……〜〜!?」
「……配るぞ」
「うん、おねがい」
テッドを見て固まったフルトから視線を逸らし、そう言うとシグールは頷く。
「では――ああ、新しい顔がいるね」
「!!」
「フルトだったかな? 初めてだね、僕がマクドール家当主だ」

にっこり微笑んでシグールはテッドが資料配布している間に値踏みするような視線を走らせる。

「おまっ……お前なんでっ!」
「ん?」
何かな? と微笑まれてフルトは凍りついた舌を必死に動かした。
「一体どういうっ! なんで、なん」


なんだって当主席にこんな餓鬼が。
そして何で周りの皆は何も言わないのか。


「お前が当主だとっ!? ふざけるなっ!」

響いたその怒声に、あっちゃーという顔をしてその場にいた本人同士以外の全員が顔をそむける。
資料配布を終えたテッドも例外ではなく、フルトに微妙な哀れみの視線を向けてから、我関せずを決め込んだ。

「ふざけるも何も、事実そうだからね」
「なぜっ――本来ならその席は父上の」
シグールの目が輝きを増す。
危険信号を汲み取って、重鎮の老人達が背筋を曲げ少しでも彼の視界から遠ざかろうとした。
「僕は誰でもいいん」
「お願いします当主様っ」
「当主様なしではマクドール家は成り立ちませんっ」
シグールが口に出しかけた言葉は、周りの人間により瞬時に叩き伏せられる。
言いたい事はちゃんと言う、そこはしっかりマクドール。
血って水より濃いんだなあと、しみじみ感嘆するテッド。
「というわけで当主なんだけど」
不満? といわれてフルトが拳を震わせた。

プライドの高い彼にとって見れば、十代半ばの子供が当主の座でいけしゃあしゃあとしているようにしか見えないだろう。
誰か彼の実力と実年齢教えやれ。

「十といくつかの子供にマクドールの総帥なんて務まるものか」
「……それ、誰のこと?」
「……お前だろ」
呆れ声で突っ込んだテッドに、シグールはそっかーと笑う。
「僕ね、トラン建国の英雄シグール=マクドール張本人。実年齢二百越えでデュナンの現在の王様と個人的にお知り合い」

手を耳の横で合わせて、んね? と笑ってみせる。
固まっている一同の前で、右手を掲げて不敵に微笑む。

「ちなみに右手に装着しているのはとある極悪紋章、殺傷能力証明してほしいのならどうぞ自己志願を」


ご志願するかいフルト?
わきっと指を鳴らしたシグールの笑みの前で、すうっとフルトの意識が遠のいた。















「ただいま……かえり……ました」
「よく帰ったなフルト」
「父上……ご存知で……」

げっそりやつれて館へ帰ってきた息子を出迎えた父親は、苦虫を噛み潰したような顔になる。

「二十年に一度の会議だとご存知で……!」
「いや……その、どうだった」
「これから、しばらく、お暇だそうで」
「……うん」
「毎年会議にご出席なさるそうで」

「…………」

 ぎらぎら光る目で父親に詰め寄りつつ、フルトは擦れた声でつぶやく。

「つきましては父上、早速お呼び出しがかかっておりますので至急本家へお向かい下さいませ」
「……なん、だと」
「残念ながらわたくし如きではままならない代行でございまして」

青ざめたままにこりと笑って見せた息子の前で、たらりと父親は冷や汗を流した。

「フル……お前……まさか……」
「当主様がお待ちですよ父上」



マクドール家は代々こんな人しかいないらしい。


 

 

 


***
ジョウイたちがしばらく王様家業にいそしむので坊ちゃんもしばらくはお仕事。
……それが幸か不幸か……。

ちなみにクロスがルックに耳打ちしたのは、
「この人、マクドール家の当主が誰か知らないみたいだよ」
です。
その後の惨状、誰か教えてあげようよ。