家だって掃除をする。
一年に一度の大掃除。


人にだって掃除が必要だ。





<年に一度の>





集ってわいわいやっている彼らのところへ、いつものようにやってくる。
やあと微笑んで、ジョウイの髪を無造作に引っ張った。
「何するんだ!」
「ああ、馬の尻尾だと思った」
けろりと笑ったシグールに、ジョウイは根元を押さえて噛み付く。
「ハゲたらどうしてくれる」
「僕特製のカツラを送ってあげる」
うれしぃでしょう、と微笑まれてジョウイは判然としない顔で、次に真顔になってシグールを覗き込んだ。
「お前……」
くすりと彼の行動に笑って、シグールは首に腕を回す。
「チュー」
「するなよ!!」

叫んで遠ざかったジョウイにけらけらと笑って、シグールは今まで静観していたセノの横に腰を下ろした。
「あれ、なんか少ないねー?」
「シグールさんがムチャいうから、グレミオさんとテッドさんとクロスさんはお買い物ですよー」
今の時期に栗なんてないですって、と呆れたようなセノにシグールはにぱりと笑った。
おそらく市で必死に季節はずれのそれかまたは類似品かを探していることだろう。
めんどくさがっていかなかったらしいルックは、冷めた紅茶を傾けながらシグールの方をちらりとも見ない。

毎度の事ながら、気まま勝手にすごしているらしい四名に満足気な表情をして、シグールは客間を出て行った。
「ンじゃ、帰ってきたら教えてねー」
「シグールさんどこ行くんですか?」
「昼寝」
セノも寝る? と微笑んで振り返ったシグールに、セノは眉を寄せた。
「今まで寝てたんじゃ」
「二度寝」

じゃね、と去っていったシグールを見送って、セノは心なし首を傾ける。
「なんか、変だったねぇ、シグールさん」
「あいつが変なのはいつものことだろう」
ぴしゃりとそれまで無言だったルックが言い、違いないとジョウイが相槌を打つ。
「大体こんな真昼間から昼寝二回とかたるんでる」
「顔を洗った跡があったから本人なりに努力はしたらしいぞ」
肩を竦めて返したジョウイに、それは無駄な努力だったねとルックが半目で毒づいた。










砂糖漬けの栗をなんとか調達して戻ってきたグレミオは、早速ケーキでも作りますかと腕まくりをする。
「ただいまルック」
「……おかえり」
ぼそりと返したルックに満面の笑みで抱きついたクロスを尻目に、テッドはきょろりと客間を見回した。
「あれ、シグールは」
「シグールさんならお昼寝の二度寝です」
「顔だけじゃなくて体を洗った方がいいんじゃないかなアレは」
いそいそと手伝いの準備をするセノにエプロンを着せつつ、ジョウイが冗談めかして言う。
どういう意味だと苦笑したテッドに、一通りのことをかいつまんで話してやると、呆れたように溜息を吐いた。
「あいつはほんとに」
「起こしてきてください、もしかしたら砂糖漬けのまま食べたいのかもしれないし」
「そーだな」

世話が焼けるなあほんと、と呟きながらテッドは階段を上っていく。
手すりを握る手には不必要に力が加えられていて。
前を見る目には、冗談の欠片もなかった。



「シグール」
軽いノックをして部屋に入ると、濡れタオルを目に乗せてひっくり返っているシグールがいた。
「あれ、お帰りテッド」
栗はあったの? と笑ったシグールが片手に掴んでいるタオルを摘み上げて、テッドはそれをぺちりとシグールの顔に投げる。
「ちべたっ」
「外はもっと寒いわ! 真冬に栗なんぞ言い出すんじゃねぇ」
「あ、てことはあったんだ!」
「……今グレミオさんがケーキ作るって」

やったね、とベッドから飛び降りたシグールがばたばた階段を駆けていく。
と思ったらひょいと戻ってきて、テッドの手を引っ張った。
「ほらテッドもー!」
「部屋にコートかけてからにする」
着っぱなしのコートを示すと、「そっかー」と頷いてキッチンへ入っていく。
客間の彼の叫び声も聞こえたので、多分また上からのしかかるとかされているのだろう。

遠くにその音を聞きながら、テッドはシグールの部屋のゴミ箱を覗く。
先日部屋で食べたリンゴの皮の残骸と数枚の鼻をかんだらしき紙が残っている。
ベッドに腰かけてみたが、異変はない。
買い物に出かけていた時間を計算してから、立ち上がるとぐるりと部屋を見回す。

本棚の片隅に丸められた布が入っている。
そっと引き出すと、それは濡れていた。
ためらわずテッドはそれを舐めた。

辛かった。











無言で差し出されたハンカチに、片眉を上げる。
「なに?」
「プレゼントだ」
誕生日ではないのだが。
不可解な友人の行動に、シグールはとりあえず彼が差し出している布切れを受け取った。
特に高級なものでもないし、どこにでもありそうなハンカチだ。
「なんでハンカチ?」
「いんや? ハンカチなんて何枚あっても便利だし」
安物だから気楽に使い捨ててくれ、と言われてシグールは無言でそれをポケットにねじ込んだ。

「それよりちゃんと買ってきてね」
「……見つかるかの心配をしやがれ、どうしてこの時期にオレンジなんだ。去年は栗だったしな」
「この時期って食べ物まずいんだもん」

真顔で言い切ったシグールに、テッドは苦笑して頭を叩く。
家から出る彼とグレミオを見送って、シグールはしばらくリビングでお茶を飲んで二人が戻ってこないのを確認してから、ぱたぱたと自室へと戻った。
今日はクロスもルックも、セノもジョウイもいない。
ちょっと珍しいかもしれなかったが、家が静かなのは嫌いだけど今回はありがたい事だった。

「・・・よし、と」
部屋の鍵を閉めてから一つ呼吸をおく。
さっきテッドに渡されたハンカチを手にして、ベッドに腰掛けてもう一つ深呼吸をした。
しっかりと目を開けて見開いたまま、拳を固めて呟く。

「……とうさん」

自分の一撃で倒れた事を思い出す。
棺に納められて白くなった事を思い出す。
泣いていたアレンとグレンシールを思い出す。

「おいていか、ないで」

笑いながら光になった友人を思い出す。
この腕の中で笑顔だけ残して消えていった瞬間を思い出す。



「扉を」



扉を開けろと、叫んだことを思い出す。
叩いて、叩いて、開けと強く念じても開かなかった。
あの扉の感触を思い出す。
あの時の空気を、絶望を。



「……ごめん」



救えなかった人を思い出す。
オデッサ。
マッシュ。
エルフたち。
父。
皇帝。
サンチェス。



「…………」



呼ぶ者がなくなって、シグールは頬を流れる涙を感じた。
右目から零れた涙は、瞬きを許すと左の目からも落ちた。
すばやくそれをハンカチで拭って、シグールはもう一度息を吐く。

泣かなくちゃ。

無理矢理涙を搾り出すために記憶を何度も再生するのは彼らに申し訳ない気がするけれど。
泣かなくちゃ。

「とうさん」
超えたかった、大好きな人。
死んでしまった、国のために。

テッドとグレミオはここにいる。
まだここにいる、いてくれる。
だけど。

「……とうさん」
もう戻らない人。
あれが最後だった。
北の砦に行く前に、皆で囲んだ夕餉。
あれが最後に父と共に食べた食事だった。

「…………」

無言でシグールは涙を流す。
泣き喚くことはないし、声に出すことはない。
ただ落ちる涙が、顎を伝って膝に落ちる前にすばやくハンカチで拭いているだけだ。

気付いたのはいつだろう。
軍主になってから泣かなくなった、それを自分に求めたのもあるし周囲の状況もあった。
最初はそれでいいと思っていた、泣き喚くなんて女子供のする事だ。
泣かずに平気な顔をして耐えている自分を好ましく思った事だってある。
だけど心のもやが晴れなかった。
泣かないでいる事は辛くなかった。
だけどゆっくりと何かが磨耗していた。

「……ぐずっ」
鼻をすすってシグールは涙を落とす。
感情を掘り起こして並べたてて、自分の心を自分で傷つけて抉って、泣いている。
そんな自分を愚かだと見ている自分もいるし、こうして泣かないとダメなんだとしたり顔で見ている自分もいた。
とにかく妙に冷静なそれが嫌になって顔を背けたいけれど、だけどやはり泣かなくてはいけないのだ。

泣くのは悪い事じゃないのだ。
それに気付いてから、泣くようになった。
ただ誰かが見ると心配するから、だからこうやって閉じこもって一人で。
(テッドは怒るかなあ)
きっと怒るだろう。
だけど悲しくて泣いているわけじゃないのだと分かってほしい。

「…………」
また新たに零れた涙を拭う。
それはとても機械的な作業だった。










「おっかえりー!」
「坊ちゃん、マーマレードでは、いけませんよね……?」
吹雪の中帰宅した、恐縮しきったような顔のグレミオに、シグールはええ〜と口を尖らせる。
「いい加減にしろよお前」
「だってオレンジー!」
「……話があるから、来い」

ぐいと襟首を掴んでテッドはシグールを中へと連行する。
グレミオが買ってきた食材の整理をしている間、テッドの私室へと連れ込まれたシグールはベッドの上にのっかって、テッドを見上げていた。
「どしたのテッド」
「どしたのは俺の科白」
「そんなに怒らなくってもさー」
むう、と唇を尖らせたシグールの頭をテッドは小突いた。

「ハンカチは役に立ちましたかね」
「家にいたら使わないよねえ」
「シグール」
真顔になったテッドに見下ろされて、シグールの表情がわずかに強張る。
「ほんとのことを言わないと、言いたくなるようにしてやるぞ」
「て、テッドこわーい」

冗談めかして逃げようとしたシグールの腕を捕まえて、テッドはぐいと引っ張った。
「シグール、言っとくが誰も気がついてないなんて思うなよ」
「何がだよ」
「いくら傍若無人なお前でも、このクソ寒い吹雪ん中、グレミオを町まで歩かせるか」
「オレンジが食べたかったんだ」
唇を尖らせて言ったシグールに、テッドは厳しい語調で言う。
「じゃあなんで馬車を出さなかった」
「この雪じゃ滑る、そっちのが危険だろ」
「マクドールお抱えの御者がそんな下手なわけあるか」

ああ言えばこう言うんだから、と溜息を吐いたシグールの額を弾いて、それは俺の科白だとテッドは言った。
「いいじゃないか」
「サプライズパーティの準備をしている様子がなかったし。奴らと組んでなんかする様子もない。去年は見逃してやったが今年はそうはいくか」
「僕にだってプライバシーはあるさ」
「一人前にプライバシーときやがったか。お前は俺に隠し事をするのか」
「か、隠し事って……青少年のささやかな事情だよ」
それでいいだろっ、と言い切ったシグールの両頬を両手で挟んで、テッドは笑った。

「吐け」
「そんなに怒らなくても」
「これが怒ってるように見えるのか。じゃあ本当に怒ってやろうか」
「…………」
はあ、と溜息が聞こえる。
観念したらしい。
「ガス抜きしてただけだよ」
「ほう」
「ちょっと人目をはばかる方法だから、勘のよさそうな人には撤退してもらってただけじゃないか」
言いたくなかったと如実に伝えている目をさらに覗き込んで、テッドはふいっと視線を逸らす。
同時にぱっと手も離したので、シグールはぽつりベッドに取り残される事となった。

「ぼっちゃーん、テッドくーん、お茶いれましたよー」
「あ、いくー!」
ぱっと立ち上がって走っていったシグールは、その弾みにひらりとハンカチを落としていく。
床に落ちたそれは、出かける前にテッドが渡したものだった。

拾い上げて、目線の高さまで持ってくる。
「……ガス抜き、ね」
舌を出して軽く舐めた。
塩の味がした。
「まあ、いいさ」

呟いてそれを自分のポケットの中に押し込んだ。


 



***
シグール
……テッドはどうしてるんだろう(・▽・)」←素朴な疑問