<雪花>





雪もそろそろ溶けてきて、窓の外を見ても、あの目に痛い反射光はない。
湖の氷もかなり薄くなった。
春が近い。

窓辺で本を読んでいたら、クロスが尋ねてきた。
「ルック、行きたいところはある?」
「……別に」
本から視線を逸らす事なく、半分上の空で答える。

古本市はしばらく開催される予定はないし、これといってほしい書物もない。
「何、どこか用事でもあるの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
そう、とルックは呟いて、書かれた字に目を走らせる。
「ねぇ、ルック、散歩行こう」
「……は?」

行こう?
こんなにいい天気なんだから、出かけないと損だって。

ね、首を傾げて言うと念を押すクロスに、ルックは眉を寄せる。
普段出かけようだなんて、何か用事でもない限り言わないのに。
何かあるのかと聞いてもないと言うから、本当にただ出歩きたいだけなのだろう。
自分がつきあう理由などないと思うのだが、気まぐれで、ルックはしばしの逡巡の後こくりと頷いた。
ぱたりと本を閉じて机の上に置く。
「いいよ、別に」

それでどこに行くわけ?
どこにしようねぇ。
……考えてから言ってよね。










ひとしきり悩んだクロスは、ぽんと手を叩いて湖に行こうかと提案した。
「……湖なんて見慣れてる」
なにしろこの塔は湖の中に立っているのだ。
窓から下を見れば、湖面が否応なしに目に入る。
それを、わざわざなんで。

顔にありありと不満の色を浮かべて、しかしルックは立ち上がる。
「で、どこの湖」
「だから、湖」
「……本気で、ここ?」
「うん」
それってほんとに出かけるだけじゃないか。
呆れるルックにクロスは笑顔で頷くと、ほら行こうとルックの手を取った。

塔のある島は橋も何もないので、ルックのテレポートで岸まで出る。
日差しが穏やかでもまだ日陰には雪がかなり残っているし、まだまだ寒い。
上着の襟を引き寄せて白い息を吐くルックとは反対に、クロスはだいぶ暖かくなってきたねと呟いていた。
「……寒い」
「あ、ふきのとう」
帰りに取って行こう、と歩きながらクロスはご機嫌だ。

どうしてこんな寒い日にわざわざ外に出なきゃいけないんだ、しかも用事もなしに。
気まぐれに返事なんてしなければよかったと、先ほどの自分の言葉を後悔しながら、しかし喜んでいるクロスを見るとすぐに帰ろうとも言うのも憚られた。
昔は嫌なら一人でもさっさと帰っていたのに。
一緒にいるようになってから、少しずつ調子が狂わされていく。
それを悪くないと思っている自分がいるのも、認めるのは気まずくて、ルックは日陰にある泥まじりの雪を蹴り上げた。

「ルック、寒い?」
「寒いに決まってるでしょ」
見て分からないの、とでも言うように目を眇めるルックに、クロスはえへへといきなり笑う。
いきなりなんだと思わず一歩退く。
「……なに」
「初デートv」
「……バカ?」
デートって、しかも初って。
今まで何度だって出かけてるんだし、二人きりの時だって……。
そこではたと気付く。
出かけるお琴は何度もあったけど、どちらかに用事がある時だけだったし。
もしくはシグール達が一緒だったりして、二人きりで、何の目的もなく出歩くのは初めてかもしれない。

「……クロス、これがしたかったの?」
「そうだねー」
本当はこんな近場じゃない方がいいのかもしれないけど。
ただ、ルックと二人で、歩きたかったのかな。

そう言って微笑むクロスに、ルックは無言で視線を落とした。
こんな、城からすぐの、いつも見ているところをただ歩くだけのことが、デートだなんて言えるものなのか。
けど、一人だったら、一生こうしてこの岸を歩くなんてなかっただろう。

「……寒い」
そっぽを向いて告げると、クロスの手に指を絡める。
クロスが目を瞠って隣を見ると、赤くなった顔は寒さ以外の理由もありそうで。
楽しそうに微笑んで、絡めたられた指に力がこめた。
 







***
初デート。
……老年か。