<落涙>
珍しく朝起きたら隣の低血圧っ子の姿がなくて、そんな事もあるんだなと思いながら伸びをして、いつも通りの朝日が差し込んでいるのを確認。うん、朝っていいね。
もう一寝入りしてもいいなあ、とは思えども三つ子の魂百までらしく、特別な事がない限り朝はしゃきっと起きないと気分が悪い。
それに昔の夢をみて、少し懐かしかった。心地いい気分だ。
上半身を起こすと、隣でシーツに包まったままこっちを見ている姿と目が合った。
なんだ、まだベッドの上だったのかと思い、それほど出遅れたわけでもないな、と思っておはようと僕が声をかけると、少しだけ彼は顔を歪めて、言い放つ。
「なんで泣いてたわけ」
「……は?」
泣いてた? 僕が? え?
わけが分からないまま首を傾げると、無言で僕の頭が今まであった枕元を指差す。
ルックに言われた通りそちらへ目をやると、濡れていた。
「……ヨダレ?」
「…………」
「……無言が痛いよるっくん」
いつも毒舌絶好調な彼が黙りこくって無言で責めると、凄い効く。
泣いてたって、そんな、とは思ったけど確かに枕元は濡れてるし。
僕が言葉に困っていると、ルックははーあと溜息をついて視線を逸らす。
「顔、涙の跡」
「ええっ」
でも、泣いてた自覚は全然ない。
ルックが言うなら涙の跡はあるのだろうけど、そんな。
「別に、悲しい夢じゃなかったんだけど」
どちらかと言えば、温かい、懐かしい、夢だった。
穏やかな、そんな、夢。
おかしい、なぁ。
耳元で小さなうめき声が聞こえて、意識が徐々に覚醒する。
まだ外で小鳥が煩く鳴いていないから、僕が起きるべき時間じゃないのは確かだ。
耳元のうめき声の原因は一つしか思い当たらなくて、目を開けば目の前にある端整な――むかつくけど綺麗だ――が歪められていた。
「――めんっ、ご、んな……さっ……」
謝ってるように、聞こえた。
何に、とか、誰に、とかはどうでもよかったけど、ずっとそこでそのうめき声を聞いてるのもあれだったので、起き上がろうかと少し体をを動かすと、クロスの体も揺れて隠れていた目元が見えた。
泣いて、いた。
「……ムカツク」
僕に泣いてるんじゃない。
僕に謝ってるんでもない。
あんた、夢の中で誰に会ってるわけ、誰のために泣いてんの。
しばらく座って見ていたら、ふっと目を開いて天井を見て、起き上がって僕を見て、何事もなかったようににこりといつもの笑顔で微笑んで、おはようなんて抜かす。
今の自分の顔の状態わかってない、頬に涙の筋ができている。
「なんで泣いてたわけ」
「……は?」
自覚ないの? 呆れて枕元を指差すと、ゆっくりそちらに視線をやってから、小首傾げて言う。
「……ヨダレ?」
「……」
ばっかじゃないの、本当。
なんでこんな奴と足掛け何年も付き合ってるのか、自分でも分からない。
思わず溜息が出た。
「顔、涙の跡」
「ええっ……別に、悲しい夢じゃなかったんだけど」
指摘してやれば顔に手をやって、呟く。
そんな、特別な夢じゃなくて。
昔の仲間に囲まれていた夢。船に乗って皆を仕切って、そんな事をしていた夢。
けして、楽しいばかりじゃないはずの記憶だけど、夢は上手く穏やかな部分を拾い上げる。
記憶を手繰りながらふと意識を今に戻すと、目の前に不機嫌絶好調の顔をしていらっしゃるルックが僕を睨み吐き捨てた。
「人の前で夢想に耽らないでくれない」
「……ごめん」
素直に謝ると、当然だねと返ってくる。
彼のこんな、はっきりとした態度が、時々うらやましくて時々息が詰まる。
「ま、懐かしがるのは勝手だけど」
そう言って視線を逸らしたルックに、僕は笑う。
心配してくれてるのか真実どうでもいいのか、出会ったばかりの僕なら迷っていただろうけど、今は違う。
これは、彼なりの心配を精一杯示してくれているんだと、胸を張って断言できる。
「よくあることだよ」
懐かしい風景を、夢で、見て。
郷愁の念のようなものに、襲われる。
何度も何度も何百回も何千回も襲われた。
「よくある、事だよ」
「嘘だね」
きっぱりとそう断言してくれた相手を、僕は苦笑を浮かべて見つめる。
本当にもう、飽きない。
遠くを見ているクロスは、綺麗な顔をしてる。
それは、僕といる時はまずない顔で、はっきりいって何を考えているか見当がついたのでますます腹が立つ。
だいたい、クロスが夢を見ながらでも泣くなんて、信じがたい。
大方嫌な夢を見て、忘れている。
ふっと遠くを見ていた視線が僕に向けられ、反射的に言い捨てた。
「人の前で夢想に耽らないでくれない」
「……ごめん」
「当然だね……ま、懐かしがるのは勝手だけど」
勝手だけど、それなら僕がいないところで泣け。
一々泣いて、人に心配させないでよ、調子が狂う。
「よくあることだよ」
笑ってクロスは答えた。
その笑みの意味が分からないとでも思ってるんだろうか。
僕には分からないと理解できないと、その笑みが言っていると僕が分からないとでも?
なめんのも大概にしてよね。
「よくある、事だよ」
「嘘だね」
あんたが自分でも無自覚なくらいの小さな嘘をついても、僕は分かる。
「嘘かな」
「あんたが夢如きで懐かしんで泣くほどおやさしいとは思わないからね」
「……なんかちょっと貶してない?」
つんとした態度は好きだけど。なんかもうちょっと言葉選ぼうよ。
戯れに乱れた金髪に指を滑らせると、嫌そうに頭を振る。
「ちょっと、止めて」
「いいじゃん――ね?」
「……どんな夢を見た?」
一旦視線を伏せてから心持ち細めた瞳を向けられて、僕は少しどきりとした。
そんな顔見せるなんて、反則。
「懐かしくて、穏やかで――昔の……本当になんの変哲もない、夢で」
「なんも変哲もない夢で泣く、ね」
「嘘じゃないんだけど」
「知ってる」
そんな風に、返さないで。
当然といわんばかりに、きっぱりと。
「どうせろくでもない夢でしょ」
「ま、まあ……」
戯れに見るような、夢。
それは、もう僕の手にはないもので、だけど失って後悔しているわけでもなくて。
だから、泣いていた心当たりなんてないんだけど。
でも、なんとなく、懐かしくてそして寂しくて……。
クロスの視線がまた泳ぐ。
夢の事を考えてるんだろうけど、はっきりいって僕には関係ない。
ので、ベッドから下りようとした時、俯いたクロスの顔を見て、僅かだけど後悔した。
「……たく……ホント、世話かかる」
シグールにクロスはルックのお世話大変そうだねと嫌味を言われたけど、世話してんのは僕も同じじゃないかと思うんだけど。
伸ばした指が頬に触れる。滑らかなクロスの頬にかかる髪と、肌と。
僕の低い体温に、じんわりと染み入る温かさ。
「ルッ、ク?」
クロスのゆらいだ瞳なんて、見たくない。
だから、肩を掴んで引き寄せる。
腕の中に、クロスがいて。
僕はそれで、いいと思えてしまう時だってあるのに。
「泣くんなら、見えないところで泣いてよね」
「……うん」
「心配するの嫌いだから」
「……うん、ごめん」
背中に回されたクロスの手は、やっぱり温かくて。
心の中だけで問いかける。
君はいつまで、僕の横にいてくれるのだろうと。
夢の中の人たちといる時、今は永遠に続くとただ心のどこかで純粋に信じていた。
「ルック」
「……何」
「君は、夢にならないで」
君を夢に見たくない。
だってそれはもう、取り返せないものだから。
「君は夢にならないで」
それはとても我侭な願い。
それでも受け止めてくれる人を
それでもあえて口に出せる人を
***
……4ルク深め話をお届けいたしました。
人様の鑑賞に堪えうる漫画を書く技量がほしいと思った事は五万とあったものの、
今回はもう達観したのであきらめる事にしました。