<実験>
なんでこんな事に。
思わず襲ってきた目眩からぶっ倒れるのを回避するために、反射的に扉に手をついてしまう自分が憎い。
このまま倒れた方が何倍も幸せだろうに……。
「あ、テッド、早かったねー」
「……シグール=マクドール。なんだそれは」
手にしたグラスを揺らして、にっこりとシグールは微笑んだ。
「媚薬」
「……だろう、な」
会話文だけでは知るよしもないが、現在シグールが腰かけているのはテッドのベッドで。
彼は服を着ていなくて。
……まあ上に、バスタオルを巻いているだけの。
これが女だったら「ありがたくいただきます」の状態なのだが。
「何を、企んでるんだ」
「え、だから気持ちいいのかな? って」
「……気持ちよくないから即行服を着てこい」
先日のクロスとルックの一件について話しているのだと即悟り、テッドはドアを指差して命じる。
しかしそこは坊ちゃん、一筋縄で行くはずもない。
「えー……テッド経験あるの?」
「……ない」
お前と会ってからは、と心の中で付け足しておく。
それが彼の全人生のたった一割なのだが、そんなこと瞬時に計算しなくともいい。
じゃあわかんないじゃん? とのたまって、シグールはちゃぷんと液体を揺らす。
「大人の階段を上がろう?」
「……嫌だ」
「んもー、僕も一緒に飲んであげるのに」
「やめてくれ」
頬を引き攣らせて真顔で懇願するテッド。
とってもとっても珍しいモノなのだが、生憎とシグールは結構見慣れていたりいなかったり。
というわけで胸元のタオルを握り締め、涙を浮かべて小首傾げて上目遣い・ザ究極最終奥儀発動。
「テッドは……僕とするの……やなの?」
「ごめん、嫌だ」
ここで即答できたテッドは、世界中の煩悩に悩める人の神である。
そして坊ちゃんの敵である。
お怒りあそばされた坊ちゃんは、先程の可憐な涙は何所へやら、一転してくろーい笑顔を浮かべ、一見無色透明無害に見える液体の入ったグラスをテッドへと差し出して言い放った。
「飲め☆」
「嫌だ」
「テッド、君は誰に拾われ誰に世話され誰に食わされたのかな?」
「……おまえの親父」
実際今はシグールだし、拾ってもらったのもシグールのオカゲのようなもんだったりするのだが、テッドはあえて抵抗を試みた。
「正解、じゃあなんで死んじゃった?」
「……おまえが紋章で」
「そう、じゃあその紋章僕にくれちゃった人はだぁ〜れ?」
「…………シグール」
あのな、と溜息を吐いてテッドはグラスを押さえシグールの方へと押し戻す。
「周りにホモが四名もいると説得力がないが、普通男同士は性関係は結ばない」
「知ってる」
それから、と続けた。
「性行為用途に作られていない体の諸器官を使って行為を行うと、負担がかかる」
「知ってる」
「それに、俺をからかいたいなら別事にしてくれ。これはやりす」
ベッドの上から、テッドを見上げるシグールの顔が動かない。
その目も、眉も、唇も、微動だにしない。
視線を合わせてしまったテッドは固まり、しばし硬直状態が続いた。
先に動いたのは、シグールで。
「……いい、わかった。ごめん」
顔を俯かせ、グラスをベッドサイドテーブルに置く。
その横顔がとても寂しそうで、テッドは己の言動を一瞬後悔したが、さすがにここは譲れない。
別に、この歳になってノーマルだとか貞操だとかモラルだとか一般常識だとかを振りかざす理由はないが……。
「……とは言っても、引き下がるのは癪だし、僕が飲むから責任だけ取ってね」
「はいっ!?」
グラスを再び手にしたシグールがそれに口をつける寸前、テッドはシグールの手からそれを奪い去る。
「僕が飲むんだからいいでしょ」
「媚薬ってのはなぁおまえ、正規の薬じゃないから副作用が強いんだぞっ」
こんなもん毒と紙一重だと言って、テッドは杯を空ける場所はないのかと部屋を見回すが、生憎、そんな物は、ない。
仕方なくテーブルの上に置いてあった石造りの灰皿と思しきものにあけてから、振り返った。
「そんなことしなくたって、俺はちゃんと」
「でも、町で綺麗な子見れば視線がそっちに行くじゃん」
「そりゃおまえ、男の性だろ……あの四人は特殊だ!!」
シグールが反論する前にテッドは例のホモ四名を思い出して言う。
全員男なのだがそりゃもう素敵に自分の恋人以外アウト・オフ・眼中。
まあ見目もそんじょそこらの女が太刀打ちできるものではないので、きちんと住民権を獲得してはいるが、アブノーマルなのに違いはない。
視線を床に落としたシグールが、いつもの彼らしかぬ口調で呟いた。
「ずーっと僕の側にいる保証なんてある?」
「……俺の場合胸をはってあると言えよう」
テッドの魂の端っこはソウルイーターに捕らわれているため、シグールから離れてある一定範囲外に出る事は叶わない。
「気持ちの問題で。僕以上に大切な相手ができないって言える?」
「……お前と寝たって変わんないだろ」
そんなものに保証なんて求めるな、とテッドは言ってシグールの隣に座る。
あ、こいつ意外と肩の方とか肌白い。
なんでだ、そっか焼けてないのか。
「僕に、テッド以上に大切な相手ができないって言える?」
「別にそれはいいけど」
さらりと返したテッドを、驚愕してシグールは見つめる。
誰もがお前みたく独占欲魔人と思うな、とテッドは笑ってシグールの頭を撫でた。
「お前が俺より大切な人ができたら、俺は嬉しい」
「なん、で?」
三百年彼は待ったのだ、たった一人の友人と出会うのを。
それで、嬉しい?
「大切な人が幸せなら嬉しい。それが本当の愛と言うものだ、わかったか?」
しばらく目をぱちくりさせていたシグールは、かすかに笑う。
「臆面もなくそんなこといえるテッドがスゴイ」
「だろう」
笑ってテッドは上着を脱ぐとそれをシグールの肩にかけた。
「寒々しい、早く服を着ろ」
「……テッド」
「ん?」
こてんと頭をテッドの胸に置いて、シグールは言った。
「ホントに、テッドとならいいって、思ったんだ」
「……シグール、服を着るか水差しの水ぶっかけられるか二択だぞ」
「ちぇ」
舌打ちをして立ち上がり、上着ありがと〜と部屋を出て行ったシグール。
その姿が消えるや否や、テッドはがっくりと落とした頭を両手で抱えた。
「ヤバイ……俺は人として大変ヤバイ……!」
認めたくないが、心の底から認めたくないが、明らかに我慢の臨界点にまで達していた。
去り際にシグールがバスタオルをぽすんと落として上着だけなんて状態になったら、はっきり言って抑えられてなかった自信がある。
「お、お、お落ち着けっ、相手は餓鬼だぞ男だぞっ……つーかシグールだぞっ!?」
ガキで男じゃなかったら今までの付き合いとかさっぴいて、頂いちゃったんかいというツッコミは最後の科白で回避される事となった。
だがそれは親友とかそう言うのを考慮したわけではなく、ただ「あのシグールだから」ということに過ぎない。
落ち着け、落ち着け俺と幾度も繰り返しつつ、壊れた脳のテンションもついでに体の熱も――下げようとしても一向に下がらない事に気付くテッド。
シグールが目の前にいるならともかく、もうとっくにいないのになんでこんなにする気なんだろう自分は、と寒いツッコミをしつつ視線を部屋になんとなく滑らせる。
「…………」
長い長い沈黙の後、テッドは先ほどシグールから没収した媚薬を注いだ灰皿を持ち上げ――ようとして手を引っ込める。
「……熱い」
この石製灰皿、なんでこんなにぬくいんだ。
そして俺はこの中に何を入れた。
もしや、もしや気化しやすいタイプだったりすると今この部屋に満ちているのは。
「……ナルホド」
とりあえず己の奇行に説明がついて、ほっと胸をなでおろしていたテッドの耳にノック音。
反応に遅れて誰だと問う前に、間違えたと言いながら顔を覗かせたのはルック。
「渡すの間違えたそれただのみ……」
テッドの姿を見て、奥を覗き、くるり回れ右をするルックの肩をガシッと捕まえテッドは問う。
「……ルック、お前今何を言いかけた?」
「……ただの水」
「シグールに渡したのはただの水か」
「正確に言うと蒸留水、まあ水」
「……本当にただの水か」
「そう」
ルックが手にしている小瓶にはいっているのは明るいオレンジ色の液体。
どう見てもまっとうな代物ではない、という事は。
おい。
蒼白になったテッドがその場に膝をつき、なんとなく事情が飲み込めたルックは視線を逸らして小瓶を自分の袖の中にしまいこんだ。
***
……テド坊、進展、して……る……?
恋人とソレとは別途だそうです。
坊ちゃんが頑張ってますが彼はどこまで本音でどこまで嘘かわかりません。
(蒸留水が本当に媚薬だったのか水だったのかは皆さんのご判断にゆだねます)