<初対面>
幽霊船は静かでいい所だったなあとこの船に来てから何度思ったことか。
百人以上の人間が集っていて、それが統率のとれた集団でもないのだから騒がしいのは当たり前なのかもしれないけれど、元々人のいる場所にいたくなくてあの幽霊船に乗っていた俺としては正直ウザい。
最もそれだけなら部屋に引篭もってしまえばどうとでもなる。
関わらなければいいのだ、要するに。
……と思っていたのだが。
そんな考えを見事蹴散らしてくれた目下の所の頭痛の種は、今俺の隣で甲板掃除に勤しんでいる。
手にはデッキブラシを持ち……もちろん俺の手にもそれと同じものが握られている。
「……なあ、お前」
「クロス」
「は?」
「僕にはクロスって名前があるから、そう呼んでね?」
ねぇテッド、と微笑まれて、不覚にも一瞬見とれてしまい……じゃなくて。
「なんで俺がお前と」
「クロス」
「……クロスと甲板掃除をしなきゃいけないんだ?」
「だって暇そうだったから」
手伝ってもらおうと思って、と爽やかに言い放つ奴の笑顔に俺は溜息をひとつ。
そもそも船長が甲板掃除をする必要性などどこにもないと思うのだが、当人曰くこういった事をやっていると落ち着くんだとか。
……変わっている、としか言いようがない。
こうやって言葉を交わしてみると、最初の印象とはまるっきり違っていた。
初めて会った時はオベル王(見ただけじゃそんな風に見えないおっさん)の後ろで立ってるだけで、紋章を持っているお飾りリーダーかと思ったんだが。
あの時の謙虚さとか控えめな態度はどこへ行った。
全然別人じゃねぇかと自分の人を見る目に落胆しつつ、俺は半ば投げやりな気分で甲板をブラシで擦り始める。
わしゃわしゃと出てくる泡が風に乗って流れていくのを見やりつつ、なんでこんな事になったんだかと溜息を吐いた。
クロスは俺を毎日のように構い倒してくる。
それこそ船に来てから朝から晩まで、話しかけてもロクに愛想も返さないような奴のどこがいいんだかといっそ呆れてしまうくらいに纏わり付いてくる。
今日だって、朝叩き起こされてそのまま甲板へ拉致された。
実はまだ太陽は水平線からようやく半分顔をだした程度。
当然甲板に人の姿はまばら。
……老人並にこいつが起きるのが早いんだ。
――ぞくり
急に
背後に寒気を感じて、俺は身を竦ませた。
夜明けの海は霧が発生しやすく冷える、が、今のは明らかに殺気というものだ。
その発生源はおそらく俺の後ろからで、ここ数日嫌と言うほど向けられてくるものである。
「テーッド?」
どしたの、と不自然に固まっている俺にクロスが話しかけてきて、一層殺気が濃くなる。
「そいつ」が俺に殺気を向けてくるのは決まった時だ。
クロスが俺に話しかける時、それに俺が反応する時。
「なあ、クロス」
「ん?」
「今俺の後ろにいる奴ってさ」
「ああ、シグルド?」
クロスは顔を上げて俺の後ろを見る。
後ろと言ってもたぶん甲板の端とかその辺りに立っているだろうシグルドに、クロスはぱたぱたと笑顔で手を振っていた。
振り向くと手摺に凭れかかるように立っていた黒髪の男が同じように笑顔で手を振っていて。
ふとその笑みが俺に向けられた。
……すいません、視線逸らしていいですか。
その黒い笑顔に耐えられるだけの精神力は、今の寝起きの俺にはありません。
「あのさ……」
そこで俺は黙り込む。
まずもって彼の狙いはこの飄々としたリーダーだろう。
俺に向けられてくる視線は明らかな敵意なわけで、近づくなと言っているようなもの。
クロスから近づいてくるのに俺にどうしろって言うんだ。
……要するに、俺は完全なとばっちり。
打開策と言えばこいつから逃げる事なのだがそれはとっくの昔に無理と証明されている。
どこに逃げても所詮海の上。
「テーッド、何考えてるのかな?」
くすくすと笑い声と共に聞かれて、俺は顔を上げた。
クロスは何か可笑しい事を必死で堪えているようで、何があったのかと俺は首を傾げるしかない。
「シグルドの事考えてた?」
「あ、いや……」
「大丈夫、本気で殺そうとは思ってないはずだから」
「……は?」
「クロス様」
何言ってんだお前と言う前にふいに背後で声がして、俺は思わずその場を飛びずさった。
気配無かったぞ今まで!
つーか人の後に気配を消して近づくんじゃねぇっ!!
「そろそろ皆も起きてくる頃ですし、掃除はそれくらいで」
「そうだね」
にっこり笑ってクロスは言う。
なんだかその動作が余りに自然で。
……そうだ。
普通、あそこまであからさまに殺気を飛ばしていたら、向けられている本人でなくとも気付くだろう。
先ほど頭に過ぎった嫌な予感と共にクロスを見ると、クロスはこれ見よがしにシグルドの腕に自分の腕を絡めて、満足そうに笑って見せた。
そこで俺は確信した。
そうか。
お前は、自分が俺に構っていると背後から殺気が飛んできていると知っていたわけだ。
知っていて人に絡んできたわけだ。
「クロス、お前、なぁ」
「あっはっは」
「笑い事じゃねぇ―――っ!!」
霧の晴れた朝の空気に怒号が響いた。
それが日常になるまであと少し。
「……と、いうのが最初だ」
「そ、れ、は……また」
同情するような目でテッドを見ながら、シグールは言葉が出なかった。
シグルドという人物のひととなりを聞いてクロスとの関係に驚いて、他にも聞いてみたかったのでテッドに話してほしいと頼んでみたのだが。
「クロスってその頃からああだったわけ……?」
出てきたのが、これ。
「常にそうだったってわけでもないけどな」
王や軍師や大半の乗員の前ではきちんと『軍主』をやっていたわけだし。
おそらくシグルドの前では、テッド達にも見せないクロスがまたいたのだろう。
少なくとも、テッドはクロスの弱い部分など見た事がなかった。
「けどな、シグール」
まだあるのか、とシグールは首を傾げるが、これを言っておかずしてこの話は終われない。
「クロスも分かっててやってるんだが、シグルドもクロスがワザとやってるのを知ってるんだ」
両方自覚済み。
「それってつまり……」
二人してテッドで遊んでたんじゃ、という結論に行き着いたシグールに、テッドはあの頃に似た疲れを感じて椅子に深く沈みこんだ。
***
テッドの一人称って書きやすーい(勝手に突っ込んでくれるから
ごめん、テッド。