<祝福の日>
二週間前から各方面を駆けずり回っていたセノとジョウイは、深く深く溜息を吐いて、自宅の机の上に突っ伏した。
クロスの淹れてくれた美味しそうなお茶があるのだが、手を伸ばすゆとりすらもない。
「つ、か、れたー」
「大変だったねー」
「でも六月に間に合ってよかったな、セノ」
「うん」
ジューンブライド。六月に結婚する花嫁は幸せになれるという。
明日は、二人の大切な家族のナナミの結婚式。
家族や親しい知り合いと、ほんの内輪でのささやかな式だけど、彼女がそれを望んだから。
……とは言えども……
「クロスさんもありがとうございます」
「平気だよ、大方料理の仕込みは終わったし、明日はグレミオさんにも手伝ってもらうからね」
「シグールさん達も、やっぱり宿に行ったんですか?」
「そりゃそうでしょ、最後の夜だもん家族水入らず、ってね」
シグールに、グレミオ、テッド、クロスに当然の如くと引っ張られてきたルックにもちろんセノにジョウイ。
シュウはさすがに多忙という事だったが、その他に折り合いのつくメンバーが何名か。
結構知る人が見れば豪勢なメンバーになっている。
だが相手は本当に普通の人だから、まあ大丈夫だろう(何が)
彼女には、幸せな一生を。
ただでさえ、真の紋章だのハイランドだの同盟軍だのいらんことにつき合わされ、弟が死にそうな目にあったりその親友とあわや心中だったり、自分の命の危機一髪だったり、その後弟に至っては王になっちゃいそうだったとか――まあ、色々しなくてもいい苦労というか……とにかく。
「でも、ナナミの料理を君たち以外で食べられる人がこの世にいたなんてねー……」
しみじみともらすクロスに、セノは苦笑して否定した。
「ちがいますー、お相手の人が料理好きなんです」
料理はその人がやってくれるって、男の人なのに女の人の事よくわかってくれてるって、嬉しそうでしたよ。
そう言ったセノの苦い笑顔の理由は明らかだ。
(じゃあどうして僕達は滅多に料理する事を許されず、彼女の料理を食べ続ける事になったんだろう)
セノとジョウイの抱いて当然の疑問だが、女性とは基本的に年を重ねるほどに家事が嫌いになるというのが通説である。
なんとかお茶に手を伸ばし、ほうと一息吐いたセノは、少しその口元を緩めて寂しげな顔をその水面に映す。
「本当に、結婚しちゃうんだなー、ナナミ」
「寂しいかい?」
「ちょっぴり」
これから、この家にはジョウイとセノ二人になる。
それが嫌なわけではないのだけど、彼女が幸せなのは分かっているのだけど。
それでも、三人と二人じゃ。
「ジョウイと二人じゃ、このお家も大きいねー」
「そうだね」
半ば無意識にセノの頭をなでたジョウイは、ふっと目を細める。
初めて出会った時は、そんな日がくるとは夢にも思っていなくて。
でも、明日彼女は別の男の。
「……気に入らないなあ」
本音を漏らしたジョウイに、クロスは失笑した。
「何父親みたいな事言ってるの」
「いや、なんていうか、今までずーっと大事に守ってきたのは僕達なのに……って感じですかね」
「ジョウイがナナミと結婚すればよかったじゃないか」
「冗談言わないでください、ナナミは僕の妹みたいなものですよ」
(セノは弟みたいなものじゃないのか)
喉元まででかかった突っ込みは堪えて、クロスはお茶をセノのカップに注ぐ。
そろそろ風呂から上がってくるナナミの分も用意しようと、戸棚へカップを取りに向かった。
結婚式当日、朝早くからナナミはドレスを着るため、近所のおばさんたちに連れて行かれた。
グレミオは宿からわざわざ出向き、昼食の支度とクロスと始める。
先日までは場所の取り決めや参加客の手配、書類仕事などこまごまとした事をしていたセノとジョウイだったが、今日はさすがに何もなく、正装を着込むと後は早めに式場に出向く以外の事はできなかった。
というわけで、現在セノ宅にいるのは食事の支度を急ピッチで進めるグレミオとクロスと。
……テレポート要員のルックだった。
「あ、グレミオさんそっち胡椒もう少し」
「クロスさん、そちらは煮込み十分ですか」
「あっ、そっちハーブ足りないですっ、ルック、見てるだけなら手伝って!」
「……なんで僕が」
ぶつくさ言いつつもきちんと手伝う辺り、彼も彼なりに今日の事は喜ばしいと思っているのだろう。
「クロス、このパン明らかに量が足らないぞ」
「うそ、今から作ったら間にあわないよ」
「大丈夫ですよ、坊ちゃんがそろそろ持ってきてくださいますから」
そうグレミオが言うや否や、ドアベルすら鳴らさず、まるでお前はここが自分の家だと思っているのかと突っ込みたくなるほどの堂々とした態度で、シグールが入ってきた。
「はい、グレミオ」
「ありがとうございます」
「手伝うことある?」
「坊ちゃんはとっとと式場に行っていてください」
「……わかった」
言外に邪魔だといわれたシグールは、しばし沈黙して身を翻す。
彼の台所に関する才能は実際皆無で、料理を作らせたらもしかするとナナミといい勝負なのかもしれないと、ひそかにクロスとルックとジョウイとテッドの賭けの対象になるくらいである。
問題としては彼はまず自発的に台所に立って料理なんざしないという辺りだろうか。
大方大詰めを迎えた料理を満足気に見て、クロスとグレミオは急いで服を着替える。
ルックも簡略ではあるが礼装――クロスが見立てた――に身を包み……。
「ちょっと待てクロス! これはなんだ!」
「だってルック、礼装なんて持ってないっていうから僕がわざわざ買ってきたんだよ、ぴったりでしょ?」
いつもの「いかにも魔法使い」な雰囲気とは一転し、繊細な模様が広がる大きく胸元が抉れた上着は丈が長めで、小柄なルックが着るとまるでワンピースだ。
いつサイズを測ったとか聞くのは愚問なので止めておいたが、それにしてもこの服は。
「僕を何だとっ――」
明らかに女物、じゃないのか。
「似合ってますよ」
グレミオの天然笑顔に毒気を抜かれたのか、ルックは呆けてそこに棒立ちになる。
「いいじゃないですか、いつもと違った雰囲気で可愛らしいですよ、坊ちゃんもセノ君もナナミちゃんもきっとびっくりしますね」
「……シグール、びっくりするかな」
計算しつつ呟いたルックに、グレミオは邪気のない笑顔を見せた。
「きっと」
「……ならよし」
大きくそう言って頷いたルックは息を軽く吸って呪文を唱えた。
時間ぎりぎりに到着した三人は、慌てて式場に入り、そこで先に待っていたシグールとテッドに合流する。
そこでシグールがルックの姿を見て、笑い転げそうになるのを顔を青くしてまで必死に堪えていた事は、おそらく横にいたテッドしか知らない。
挙式が無事に(途中からナナミの親族席に座っていたジョウイがマジ泣きするという出来事があったが)終了し、温かい拍手の中、式場から出てきたナナミは、笑顔で集って祝福する皆に手を振り、白い手袋で今まで手に持っていたブーケを、彼女の力が及ぶ範囲、精一杯高く投げた。
結婚式の折、花嫁が投げるブーケを受け取った女性が、次の花嫁になるという。
あくまで言い伝えではあったが、集った女性達は黄色い歓声を上げ、両手を挙げてブーケを待ち構える。
下手に走ってはいけない、これは運試しでもあるのだから、自然と手の内に入った人こそが、なのだ。
スポッ
いっそ、そういう効果音が聞こえてきそうなほど、ぴったりとブーケを腕に収めた人物を見て、その場にいた女性達はまあと感嘆の溜息を吐き、その場にいた男性達はおおと驚きの声をあげた(両方とも約一部を除く)。
なんとも、簡略な服装でありながら絵に書いたような美女がその場に立っていた。
「…………」
乙女の憧れであるブーケを見事受け止めたその美人は、顔を引きつらせる事もできず、呆然と腕の中のブーケを見ていた。
「次なる花嫁に万歳!」
「次なる花嫁に万歳!」
「お嬢さん、貴女にも祝福を!」
……ノリが良いのか、万歳を言い出し笑顔を向けてくる気のいい新郎側の人々や村の人々に飲まれているのか。
とかく「彼」は無表情のまま、その場に立ち尽くしていた。
人々の端の方では、我慢の限界と言わんばかりに盛大に笑ってくれている人物がちらほら。
「ルック、きっとあなたは薄い青のドレスが似合うと思う!」
笑顔で本日の花嫁が言ってくれた。
夢か幻か、というかどうすればいいんだこの場合。
なんとか動き出した思考回路をフル回転に引き戻してくれたのは、いつもの如く彼に影のように付きまとっている、
「そっかー、ルックが次の花嫁か……今度ドレスを見繕いに行こうか、それとも僕が作る?」
肩に手をかけて、笑顔で言ってくれた御仁だった。
「「だーっはっはっはっはっはっは」」
バンバンバン
バシバシバシ
「……一回、人が足すら踏み入れた事のない未開の土地にでも飛ぶ?」
挙式から引きあげ、新郎家族がセノ宅に来る前に料理を完成させんと急ぐクロスとグレミオを除く――つまりシグールとテッドとセノとジョウイ――は込み上げる笑いの発作に机をびしばし拳で叩くという作業を、ここ二十分はやっていた。
床に転がっていないのは、礼装を汚さないためというせめてもの理性が残っている証拠だ。
「まっさかルックが取っちゃうなんてー」
「青のドレスだってよ、青の」
「お、俺からも祝福の言葉を言わせてくれルック」
「僕はお二人が皆に祝福されるよう、たくさん招待客を集めるよ」
だーっはっはっはっは。
……冒頭に戻る。
一方、女と間違われただけでも不満なのにしかもブーケまでもらってしまっておまけにナナミには全く悪気のない科白を言われるわ、実は参加した客の中の何人かには熱い視線を送られた
わ、クロスはフォローどころかトドメの一発を放つわ。
……こいつらに至ってはこうだわ。
本気で全員大陸外に飛ばしてやろうかとルックは真面目に思案した。
***
ルックに愛が傾いています、知ってます。