<不安>





カチカチカチ。
グレミオは苦笑して、ティースプーンでカップを叩いていた主の頭を、ぺこんと手にしていたトレイで軽く叩く。
「坊ちゃん、欠けてしまいます」
無言でスプーンを置いて、今度は冷めた茶をすする。

「すぐにお帰りになりますよ」
「なんで僕を連れて行かないんだ」
……眠りこけていらしたのは坊ちゃんでしょう?」
ぐう、の音すら出ず、シグールは黙り込む。

微笑んでグレミオは冷めたポットを新しい温かいお茶と取り替える。
「ご心配でも、後は追われませんようにね」
…………
「すれ違ってしまうと、テッド君が心配しますから」
無言でお茶だけ延々と口元に運んでいく主の姿に、グレミオは微笑む。

完璧なまでの無表情であるが、実際は様々な感情が猛っているのが分かるのは、長い付き合いの賜物というよりは、幼い頃から彼の側に仕えていてその思考回路を把握しているおかげだといえよう。
「ああ、でもそろそろ戻ってくる時間かもしれませんね」

シグールの瞳がグレミオを見上げてくる。
……何が、言いたいんだ、グレミオ」
「お家が見える範囲でしたら迎えにいかれても問題ないと思いますけど?」
……別に、迎えに行きたいわけじゃない」
低い声で言い切った彼の態度に、不興を買うまいと思いながらも声を出さずに笑いつつ、グレミオは彼の頭をなでた。

テッドが、使用人の用事を代理で少々遠出をしたのだ。
もちろん、彼の魂は未だ端っこがソウルイーターの中におさまっているため、その宿主のシグールからそう遠く離れる事はできないが、まあ隣町とかそのもう一つ隣程度だったら何の問題も ない。
で、遅く起きてきて置いていかれた事に気付いたシグールが、ふてているわけである。
大変彼らしい怒り方なのだが、こう無表情で殺気ばかりピリピリさせられていては、グレミオ以外の家人の仕事に差し障る。

それで遠まわしに何とか追い出そうとしたわけだったが、結果意固地な彼の態度を悪化させただけに終わってしまった。
「坊ちゃん」
……

だって不公平だ。
シグールは内心そう呟いた。
テッドはソウルイーターとつながりがあるので、どこにシグールがいようともその存在を感じ取り、見つけ出す事ができる。
だけどこっちは。

…………
無言でシグールが立ち上がり、部屋を出て行きその足で家を出て行ったらしき事を感じ取り、グレミオ以外の家人がほっと溜息めいたものをもらす気配が伝わってきた。










ソウルイーターの波動が伝わってきて、テッドは首を傾げる。
その波動に伝える宿い主の感情は、不安。
寝ていたのをほっぽって行ったのだから、少々拗ねているだろうぐらいは予見していたが。

(何でだ?)
テッドの不在理由を告げるのが、クロスとかルックとかならともかく、グレミオだったのだから、誤解させるような口振りのはずもない。
だとすれば、この哀しさすら感じる不安は、何だろうか。

そうつらつら考えてきて、気がつけば屋敷が見える範疇まで帰ってきていた。
「シグール」
横目でひときわ大きい大樹を見上げて、声をかける。
「どうした?」
……別に」 

ふいっとそのまま地面に降り立って、先に歩いていってしまう彼を、苦笑して追いかける。
「シグール」
無言で答えないが、先ほどから感じている感情が霧散しないのが気にかかる。
「何をそんなに不安に感じてる?」
さりげない一言のつもりだったのだが、きっと振向いたシグールの目には、怒りを越えた殺気じみたものまで込められていた。
「感情までわかるなんてズルイ」
……シグール」

視線をそらして、顔をそむけて、テッドには背中を向けて、シグールは繰り返す。
「僕はテッドの居場所も、明日僕の隣にいるのかさえもわからないのに、テッドは全部わかってズルイ」
「あのなぁ」

らしくない言いがかりに、テッドは溜息を禁じえない。
これでは、まるで子供だ。
実際は、テッドの記憶が正しければ、もう二十を越えているはずなのだが。

「ただいま」
僅かに肩が震えた、気がした。
……ただいま」
「次は連れてけ」
「はいはい」
苦笑して言ったテッドに頭をなでられて、シグールは少しだけ表情を崩す。

くると振り返って、抗議した。
「子供扱いするなよっ」
「それは、そんな事で拗ねない大人になってから言え」
テッドの馬鹿。

真顔でぼつり呟いた彼は、バンダナの端をひらと翻して、たったったと走っていく。
穏やかな笑顔を浮かべて、テッドはゆっくり彼の後を追う。
「テッド!」
「はいはい」
返事をした彼の足は軽く。
近づいてきた屋敷の表には、見慣れた笑顔と金髪が風にゆられていた。



 

 

 


***
テッドって誰かにイメージかぶるよなぁ……そうだ、コンラートに似てるんだ。
そう思った瞬間から、坊ちゃんを無邪気に書いてしまった。
……結論、無邪気な坊ちゃんなんか坊ちゃんじゃない。(書き直した)