<再会(下)>
ルックは案の定寝ていたので、ジョウイは溜息つきついでにベッドサイドテーブルに盆を置いて、ふと窓の外を見る。
視力のいいジョウイ青年は、そこで見てしまった。
大きな木の下で。
泣き崩れている少年と、それを抱きしめている青年を。
「……ジョウイ?」
ひらひらとセノが窓の外を見て固まっているジョウイの前で手を振るが、彼は反応しない。
「ジョウイ?」
「どうしたの、セノ」
「ナナミ、ジョウイが固まってる」
え? と返してナナミはジョウイの前に回りこむが、確かに無反応。
「……うるさいな、人が寝てるときは静かにしてよ」
文句を言いつつ起き上がったルックに、二人が声をそろえて言う。
「「ジョウイが固まった」」
「……ほっとけば、それよりお茶淹れて」
元来ジョウイなんぞは「からかうと楽しいモノ」程度の認識しかないルックだったので、差し込む陽射しをブロックしているわけでもなし、ベッドから部屋への道のり上に立っているのでもなしで、
いてもいなくてもどうでもよかったので、ただそうとだけ返して、アップルパイを見やる。
「あー、そういえば下にお客様がいるのよ」
ルックの相槌がないのはいつものことなので、気にせずセノとナナミは話を続ける。
「なんかね、髪の色が淡くて綺麗な人だった」
「ルックさんも下に下りて会いましょうよ」
「冗談じゃないね」
ナナミの誘いを一言で切り捨てて、ルックはアップルパイを口の中に放り込み終えると、自分の膝の上にかけてあったマクドール家のシーツで無造作に口をぬぐい、それを床へとすべり落として立ち上がる。
(たとえシグールがなんと言おうが、グレミオにとっては)客扱いなので、遠慮無用。
「何してんの、盆片づけなよ」
廊下に出かけて振り返ったルックに、慌ててナナミが盆を持ち上げ、セノもぱたぱたと部屋から出てくる。
ルックは満足げな笑みを浮かべて、軽快な足取りで階段を下りていった。
結局階下にいくんじゃん。
そんなツッコミをする人間はここにいない。
「グレミオさん、ルック起きましたー」
「ああ、おはようございます」
グレミオの笑顔での挨拶にも無言で返したルックの眼が、彼の正面に座っていた青年とバチコンという効果音と共に視線が合う。
このとき共に相手に抱いた感想は「うわぁ、女顔」だったのだが、それが発覚するのは後日である。
「……誰、あんた」
「人の名を聞く時は自分から言おうね☆」
笑顔でそうはねつけて、クロスは自ら淹れた茶をすする。
通常の兵くらいなら射殺せそうな視線が突き刺さって来たが、伊達に一〇八の仲間を集めて航海をしていたわけではない。
個性の強い面子を手玉に取るのはお茶の子さいさいだった。
「シグールは」
「坊ちゃんは今お外です」
からかって楽しむべき相手は現在反応不可で、共にからかい、時に戦うべき相手は行方不明。
グレミオはほわほわ笑うだけであるし、しかし万が一怒らせてしまった場合、嫌いな物が夕食に並ぶのは目に見えているし、セノは怒ってもあたってもからかっても暖簾に腕押しで意味は無いし、ナナミには――論外。
となるとこの微妙な不機嫌を当り散らすべき相手はこのわけわからん訪問者で、まあ軍や国の上層部だったらルックとて知っているはずだが、全く見覚えがないので、たぶんそう
いう関係者じゃなくて。
おまけにシグールが彼をほっぽって行くなら、そうたいしたお客でもないのだろう。
ここまで一気に考えて、ルックは視線をクロスへと戻す。
「で、あんた誰」
「人の言ったことは聞こうね」
にっこり笑顔を向けられて、ルックは久しぶりに背筋が凍る思いをした。
これは、グレミオの芯の強い人間の笑顔でもなく。
セノの、一〇八人を陥落させた魔性の笑みでもなく。
シグールの悪魔の邪悪な笑みでもなく。
ジョウイの、言いたい事を隠す笑みでもなく。
全く別の、異質な、笑みだった。
「で、名前は?」
魔法使いとしての本能が伝える。
逆らうな。
「…………」
長い長い沈黙(セノとナナミは飽きてグレミオと談笑中)の後に、ルックは重い重い口を敗北感と共に開いた。
「……ルック」
「僕はクロス、よろしく」
相当プライドが傷付いたのか、睨んでくるルックの視線を受けて、クロスは微笑んだ。
可愛いなあ。
そんな思考が彼の脳裏に閃いた事は、ルックは気がつかない方がおそらく幸いだ。
「…………」
そのまま前に進んで彼らに加わる事も、背を向けてどこかに行く事も不愉快で突っ立ったままのルックに、クロスはひらひらと笑顔で手を振って自分の隣の椅子を叩いた。
「ここおいでv」
「…………」
従いたくはない。
だがここで逆っても無駄な気がする。
とすれば、散々逆らった挙句無理矢理従わせられるという屈辱を味わうわけで、そうとなれば最初から相手を油断させる目的で大人しく従った方が、あとあとの面目も立つし作戦も立てやすいじゃないか。
……と、ここまで(以下略)
「そうそう、いい子だね〜」
ご悦満の表情で隣に座ったルックの頭を撫でていたクロスは、新しいティーカップにお茶を注いで彼の前に置く。
「どうぞ」
「…………」
飲めというのか。
この僕に飲めというのか。
レックナート並、否それ以上にあしらいにくい相手を横目で睨んで、ルックはゆっくりとカップの取っ手に手を伸ばす。
その一挙一動を楽しそうに眺めるクロス。
すでに彼の頭の中に、先刻殴り飛ばされたテッドの事なんて欠片もないのは約束できる。
「…………可愛いなあ」
ブウッ
盛大な音を立てて紅茶を噴き出したルックを、おやおやとグレミオが言いながら立ち上がろうとするより早く、クロスは立ち上がってキッチンへと入っていく。
恐るべし小間使い精神。
そのまま台布巾とタオルをもってきて、とてもとても楽しそうににルックの耳元で囁いた。
「こぼしちゃダ、メ、だよ」
「……っ!!!」
抗議しようと立ち上がろうとしたルックをやんわりと片手で押さえ、いっそ紋章で吹き飛ばしてくれると魔力を込めた手をしっかりと掴まれる。
目の前二センチ、魔の笑顔。
「だ、め、だ、よ?」
ペットにはまずどっちが格上なのかを見せつけろ。
……真に正しくマニュアルに添ったクロスだった。
「……で?」
テッドとの再会を済ませ、涼しい顔で頬杖をついてグレミオの淹れた紅茶を飲みつつ、流し目をちらとクロスに向けて、シグールは片眉を上げつつ言った。
「テッドがなんでここにいる訳?」
「聞いたところによれば、君達は天魁星で軍主として活躍して、一〇八星を集めてご褒美にそこにいるグレミオさんを頂いたそうじゃないか」
「……否定はしないけど」
「セノ君はジョウイ君だろう?」
「はい」
「なのになんで僕には何もないんですかってレックナート様に掛け合いにいったんだ。三ヶ月くらい粘ったら条件付でテッドを返してもらえてね」
「……なんでテッドだったの」
「苛め足りなかったから?」
「…………」
シグールはさすがに黙り込んだが、それがテッドへの哀れみなのか心からの納得なのかは、テッドは知らない方がいいだろう。
「でもテッドはソウルイーターの……どれくらいかな、とりあえずある程度近くじゃないとダメらしい」
「へえ」
「魂が離れられないんだって」
「……へえ」
「つまり、シグール君に捕らわれたって事だね」
「……クロス、お前はもうちょっと言葉を選べ」
それまで沈黙していたテッドが沈痛な声でツッコミを入れる。
にこにこ笑顔でどうして? と聞かれて彼が黙りこくったのを確認したシグールは、この二人の力量関係をはっきりと把握した。
「君には言われたくないよ。「俺を恨んでくれても構わない」の一言だけでソウルイーターを押し付けた乱暴者のテッド君?」
「くうっ……」
歯を噛みしめそっぽを向くテッドに、シグールは三割同情しつつも残り七割はと言うと全く関係のない事に向けられていた。
未だクロスの隣に座っているルック。
「……ルック……大丈夫?」
テッドで当分遊ぶ気分らしいクロスの注意を掻い潜り、シグールはルックに声をかける。
通常であらばシグールがルックを心配したり或いはその逆はほとんどないと言うか本人同士がたいそう気味悪がる行為なのだが、今回は状況が状況だった。
心配せざるをえない状況なのだ。
「逃げたい……」
「テレポートすれば」
「……なんでそれを早く言わないのさ」
そうとなればと早速魔法を使おうとしたルックへ、クロスが笑顔を向けた。
「まさか逃げるなんてことはないよね?」
「…………」
「ルックお前……運悪かったもんな……」
軍主の時に彼をパーティに入れるか入れないかで散々迷った理由その1。
運と防御の低さ。
「強行突破してやる!」
そう叫んで立ち上がったルックの紋章が輝き――
でも結局は魔法力の高さに折れたんだよなあ。
うん、ボス戦でしか使ってない力だったけど、イザって時は便利だもんなあ。
リセットは利かないんだから、なるべく万策尽くした方がいいもんなあ、ってなんで軍主モードになってるんだろう自分。
そんな思考をシグールが繰り返している間に、ルックの手を上から握り締めたクロスが凄みすら感じられる笑顔でこうのたまわったのを、シグールは運のいい事に聞き逃し、反対にテッドはその笑顔とともに己のトラウマに又一つ新たなページを付け足した。
「僕から逃げれるなんて思わないでねv」
***
こんな前提があってこその**話の壮大なストーリー……。
このころからテッドって苦労人の称号が。このころからジョウイの行方は多難。
ジョウイは結局回復しませんでした。
後ほど、部屋に戻ったルックの八つ当たりの道具にされて正気を取り戻します。