<再会(上)>





グレミオは鼻歌を歌いつつアップルパイを焼いていた。
無論、「手伝います!」と笑顔で言ってくれたナナミを必死に他に仕事へまわして、だ。
さすがのグレミオも、ナナミのあの料理の才能にはお手上げだった。

「さあーて、坊ちゃんは起きてますかねぇ」
先日からまたマクドール家に転がり込んできたルックとジョウイと共に昨晩遅くまでカードに興じていたらしきこの家の一応主人を思いやる。
「アップルパイが焼きあがったら起こしに行きましょうか
……
ちなみにセノは夜更かしできないタイプで早々に寝入り、ジョウイはけろりとした顔で起きている。
シグールとルックは典型的な低血圧なので、放っておけば昼過ぎまで起きてこないだろう。

ちょうど焼きあがったアップルパイをオーブンから出していた半端、響いたベル音にグレミオは首を傾げる。
およそ突然訪ねてきそうな人間はすでにここにいて、ここにいるメンバー以外がアポなしでくるとなると、結構な事情がない限り、シグールに門前払いを食わせられる。
という事は皆知っているはずだから、おさおさ来る事はないはずだ。

「誰でしょうか
……
アップルパイは金網の上に置いて、グレミオは手を拭きつつ玄関にでた。
「こんにちは」
そこに立つのは灰茶の髪を持つ美人。
一瞬女性かと思ったが、その口から流れる落ち着いた声は、彼が男性である事を告げる。
「突然不躾な事を聞いて申しわけないんですが、紋章の持ち主の方がこちらにいらっしゃいませんか?」

 にっこり。

笑顔でそう言われると、グレミオはこう返すしかない。
「知りません」
……いやっ、すみません真面目な話で……ああ、ハルモニアの回し者とかじゃないんですけど」
どう言えば納得してもらえるかなあと呟いていた彼は、顔を上げると自分の手袋を取り去った。
「僕の名前はクロスといいます。罰の紋章持ちです。ソウルイーターの現在の持ち主に会いたいんですが」
罰の紋章なんてのはどれほどの威力を持つかグレミオには測りかねたが、自分が下手に対峙してもまず敵わない事はわかっていたので、かねての主人の言い付けどおり、頷いた。
「では、申しわけありませんがこちらでお待ちください」
「はい」

アップルパイが冷めてしまいますねと外れた事を考えながら、グレミオは二階へと上がり主人の部屋のドアをノックなしで開ける。
……熟睡。
「坊ちゃん、お客様ですよ」
…………
「坊ちゃん」
…………
てこでも起きそうにないので、それじゃあルックはと同じ事をしてみたが、右に同じ。
仕方ないとグレミオは肩を竦めて、階下へ降りる。

「? 誰だったんですかグレミオさん」
怪訝な顔をしたジョウイに尋ねられて、ああちょうどよかったちょっと来てくださいと言いながら、問答無用で連行した。

「な、なんですか?」
「坊ちゃんにお客さんなんですけどなんかおかしいんですよ」
「はあ?」
「お待たせしました。残念ながらまだ起きられてないんですが、ご用件でしたらここで聞きますよ」
 ああ、とクロスは言って困ったように頭をかいた。
「そうじゃなくて、会わせたい人がいたんですが
……
「会わせたい人?」
「はい
……ほら、何でそんなところにいつまでも隠れてるのさ、出ておいでよ」

ぐいとその細い腕にも関わらず、やすやすと大の大人一人引っ張って来たクロスの腕力にジョウイは感心したが、グレミオは目を丸くしてその引っ張ってこられた人物を見ていた。
それは。
「う
……嘘でしょう」
彼が死んでから早七年。
未だに、夢の中で時々会うと彼は嘆くのに。

「て
……テッド……君?」

呟いた名前に、顔を上げて観念したような表情を見せた。
「お久しぶりです
……グレミオ、さん」
時が止まる。
事情を微塵たりとも知らないジョウイは、ただ事態を眺めているだけだし、事情を一応知っているクロスも、割って入る事はできないので無言だ。
しばらく硬直状態が続いたが、クロスが突然口を開いて、いかにも不釣合いな事をのたまった。
「いい匂いですね、アップルパイですか」
「え、ええ、食べますか?」
「いいんですか?」
「はい、沢山作ってしまったのでどうしようかと思ってましたから」
そう言ってあっさりと不審者二名を招き入れるグレミオに、ジョウイは必死に突っ込んだ。
「ちょっ、いいんですかグレミオさんっ」



「さあ
……でもまあ坊ちゃんに相談するまでも ないですから」



「は?」
「アップルパイ、切ってきますからセノ君とナナミさんにお茶にすると声をかけてください」
「は、はあ
……
なんだか明らかにうやむやにされたが、納得いかないジョウイはセノとナナミと共に不審者二名と同じテーブルについた。
「えーっと、こちらはジョウイ君にナナミさんにセノ君です、みなさんこちらはクロス君にテッド君」
「こんにちはー」
「はじめまして〜」
……こんにちは」
明らかに能天気な二名と異なり、ジョウイはクロスの手にある紋章らしき物を見てしまったため、警戒を怠る事ができない。
シグールとルックが寝ている今、ナナミとグレミオの防御にセノが回るとすれば、攻撃できるのは自分だけだ。

「お知り合い、なんですか」
グレミオに確認するように質問してみれば、微妙な表情と肯定が返ってきた。
「ええ、まあ」
テッドと名乗った人物をしげしげと見るが、どういう経路での知り合いだったのかはさっぱり分からない。
貴族らしくはないようだし、じゃあ後は
……。

「シグール、は」
ぽつりと呟くように言ったテッドに、グレミオは微笑んだ。
「坊ちゃんはまだ寝ていらっしゃいます」
「そうか
……朝が弱いのは相変わらずだな」
「変わっていませんよ、そういうところは」
そのグレミオの言葉に、テッドはかすかだが嬉しそうに微笑んだ。
その表情にジョウイはなんとなく突っ込みたい言葉を覚えるが、飲み込んだ。
実はつい三週間ほど前、ジョウイは彼に会っている。あの意味不明の酒場で。
あの日以来何度足を運んでも何故か見つける事のできない酒場で、ジョウイはテッドに会っている。
そしてこのクロスという名の少年も。

でも、それでシグールと知り合いだとは発覚してほしくもない事実だったが。
……しかし昔の軍の知り合いだろうか……。
少なくともテッドの話はシグールからもグレミオからもミリとも聞いていない。

「あの
……シグールとはどういう知り合い、で?」
困ったようにグレミオが微笑み、テッドがやや固くした顔で答える。
「友人、だった」
過去形で語ったそれに、どういうことかと聞く事はジョウイにはできなくて。
その時、その場にいた全員の耳にたんたんたんという階段を下りる軽快な音が届いた。
「グレミオ? 朝はもういいから野菜ジュースでも
……
バンダナを結びつつ、客人のいるリビングへと入ってきたシグールは、その客人のうち背の高い方にひたと視線をすえて、止まる。

……坊ちゃん、お客さんですよ」
グレミオの次の言葉に、恐る恐るといった様子で、バンダナから手を離し、数歩近づいて、いつもの彼らしかぬ口調で呟いた。


「――テッ、ド?」


……ひさしぶり、シグール」
立ち上がって微笑んで見せたテッドへ、シグールはくしゃりと一瞬顔を歪ませてから、満面の笑みで駆け寄る。


「テッド!」


次の瞬間。

彼のしなやかな体から繰り出された右ストレートがテッドの顔面へとクリティカルヒットしていた。
無論、まともに喰らったテッドは、飛ぶ。

「なーにが「久しぶり」だっ! たいそうなモノ残しておいて勝手に死んで第一声が「久しぶり」とはどの口が言うんだどの口が!」

「ま
……まあまあ坊ちゃん落ち着いて」
慌てたグレミオが背後からシグールを取り押さえた。
「グレミオ! 熱湯持ってこいぶっかけてやる!」
……セノ、ナナミ、ルックにアップルパイを持っていってあげよう」
「? そうね」
「? じゃあ僕ティーポッド持ってく」
状況を何となく察したジョウイが、ナナミとセノにやんわり避難を提案し、二人はおそらく分かっていないながらもそれに従う。

「あーあ
……大丈夫、テッド」
「シグール
……あんな子じゃなかったのに……
間接的にというかほぼ直接的に君のせいなんだろうけどね、とテッドをここに引っ張って来た張本人は笑顔の中でそう思う。
「テッド」
……うん」
いまだ床に座り込んだまま、こちらを見上げてきた親友に、シグールはふいと視線を伏せて言った。
……おかえり」
……ただいま」

くるとそのまま背を向けて、玄関の扉を開け放って走っていってしまったシグールに、やれやれとグレミオは首を振るとテッドに手を差し伸べて立ち上がらせる。
「追いかけてあげてください」
「――でも」
「坊ちゃんはね、私の前だって一度も泣いてくださらなかったんですよ」

辛さが薄れるわけではない。
むしろ、過去が遠ざかるほどに、それが本当に大事な物であったなら。
どんどん愛しくなって、重い呪縛となって。降り積もる。
「わかりました」
そう言うが早いか、風のように早く立ち去ったテッドを見送って、グレミオは笑むと紅茶を淹れ直そうとして、クロスの笑顔に止められた。
「僕がしますよ」
「いえ、お客様にそのような
……
「いいんです、お茶淹れたりとか家事してると落ち着くんで」
それじゃあ、と微笑んでグレミオはありがたくクロスの淹れ直した茶をすする。

とても、美味しかった。















走っていったシグールに、テッドは追いつく事はなく、見事見失ってきょろりと周囲を見回した。
だが、見なくとも解る、ソウルイーターの呪縛が、彼の居場所を教えてくれる。

……シグール」

木の幹に顔を伏せて、肩を細かく震わせている小さな友人の肩に、そっと手を触れる。
「シグール」
昔と全く同じ声で同じ声色で、同じように名を呼ばれて、シグールの肩がぴくりと動いた。
何でここにいるのかとか、どうして生きているのかとか、そんな言葉を紡ごうとする度に、彼の最期を思い出す。

生きているはずは、ない。
だってここに、右手に在る。

……なん、で」

七年も経って。
自分の前から消えて七年も経って。
どうして、今ごろ。

「よくわからないんだが
……とりあえず、戻ってこれた、らしい」
「嘘だ!」
顔をテッドへ向けないまま、シグールは叫ぶ。
「まだ感じる
……君を、この右手の中に!」
「ああ」
「なんで、っ
……
それ以上、言葉もないシグールを、テッドは後ろから抱きしめる。昔、時々そうしていたように。
「シグール」
「夢なら、夢ならいなくなるなよテッドっ
……!」
そう叫んで、テッドのシャツにしがみ付いて、大声を上げて泣き崩れたシグールを、テッドはそっと抱きしめた。

「ずっとお前を、見てた」
……ドッ……
「うん、がんばったな、シグール」
……なん、で……
「側にいてやれなくて、悪かった。これからはずっと、一緒にいるから」
……うん」



 

 

 

 


***
書きたかったのは右ストレートと縋って泣く坊ちゃん。

書き直そうと思いましたがほとんど書き直せませんでした、若き日の勢い……(違