―――俺は……俺は、クロスとルックがいれば


「……っそっ」

鈍い音を立ててラウロは廊下の壁を叩く。
石造りのそこは、拳を傷つけるだけに終わった。


会ってしばらくして分かった事がある。
リーヤは一見人懐こく見えるが実際は彼の回りは厚い壁がある。
それを打破できる人間は、実は本当に本当に少ない。
だいたい、学園にいた間リーヤが自分から声をかけた生徒はラウロと……あとせいぜい一名か二名だけだ。

表面はすぐに打ち解けても、心の底は見せない。
自分でも見ないようにしている。
だから――あんな歳になっても、吹っ切れていない。


分かっていた、彼にとって一番大事なのはあの育て親の二人だと。
話している時の彼は本当に嬉しそうで楽しそうだったし、ラウロに語る時は目を輝かせていた。
本人は否定するかもしれないが、リーヤの閉じた世界の太陽であり月であるのだから。


――俺は……俺は、クロスとルックがいれば


彼のあの一言にこんなに動揺している自分が許せない。
分かっていたのに、指摘したのも自分だっただろう。
せいぜい二番手だと、それも一番手とは大きな差のある二番だと分かっていた。
だけど。

哀しい。

共に学んで過ごしたあの日々も、独り立ちしてからたまに顔を合わせた事も。
十五年かけて築いてきた関係は、彼らとのそれには到底及ばないのか。
親を大事にする気持ちはもちろん分かっているけど。

……彼らだけでいいと言い切られたのが痛かった。
自分なら。
自分なら――……


壁に手を打ちつけたままの格好でラウロは硬直する。
思考を掘り下げた結果、気付いたのは見えなかった本音。
もし、なんて考えるものではないけれど。
リーヤと親と、どちらかしか選べなかったら。
……必ず親を選ぶ自信はない。

「違うって言うのか」
親への思いの差か、互いへの差か。
それは分からないけれど、
――あんなに、一緒にいたのに。
多くを分け合った。
喜びも悲しみも痛みも不安も。
そばにいて、笑って泣いて、共に励んで互いに支えて。
それでも。

「……俺は、代わりにはなれないか」
結局、リーヤが帰りたい場所はあの二人だ。
昔初めて気付いてしまった時、必死にそれから目をそらした。
その時すでにリーヤは、ラウロにとっていなくてはならない存在だったから。
彼にも同じように、感じていてほしかった。

それでもまだ、リーヤは。

「何してるの」
「っ!?」
ボソッとかけられた声に、息を呑んであるべく冷静な顔を作って振り返る。
「ルック」
「リーヤは」
「俺の部屋で寝ている」
「……ふーん、そう。で、血を流すくらい壁が嫌い?」
「少し苛立っていただけだ、思った以上に物資が少ない」
拳を服の陰に隠してそういうと、はっと鼻で笑われた。
「やれやれ、軍師ってのはどいつもこいつも、口から先に生まれてきた奴ばかりだね」
ルックの嫌味に含まれた意味を理解して、ラウロはそれでも嘯いた。
「それはほめ言葉か」
「小さい頃は可愛かったのにどこでそんなになったかな」
「嘘をつけ、可愛かったのは――」
そう言いかけてラウロは口を閉じた。
今自分は何を。

「可愛かったのは、なに?」
にやりという表情をしたルックに、しまったと軽く舌打ちをする。
見目が美少女なので都合よく忘れていたが、こう見えて海千山千二百歳の大詐欺師だった。
「……なんでもない」
「とっさの言い訳くらいするようにね。それじゃあごまかせないよ」
「ごまかすって」
何をだ。
言いかけたラウロに、ルックはふいと視線を彷徨わせた。
「僕はわかったふりができるけど」
きっと彼は。
それすら自分に許せない。

「――クロスは、知っちゃいけない」
きっと怒るだろう。
そして自分を責めるだろう。
切ってしまうだろう、関係を。
それが大事な子供を壊すと分かっていても。

「だから、ごまかして」
「ルック……」
「ごまかして、できることならなんとかして」
僕じゃ無理なんだ。
そう言ってルックは首を振った。
「――違うな、あんたじゃなきゃだめなんだ」
沈黙が落ちる。
ラウロの反撃がルックに突き出された。
「……無責任だな」
「そうだよ、無責任だ」
「なんでっ」

「なにも握るものがない子供の手を引いてくれた相手は、神より正しいんだよ」
だけれど、その相手は神ではない。
だから、どうしようもない。
その手にすがられても、無理な時もある。
正しくない時もある。

「僕にも絶対の相手はいたよ」
その傍を離れて、思い知った事もある。
なんて自分の世界は狭くて、そして心地よかったのだろうと。
「そのままでも、本人はいいかもしれないけれど」
その世界の外で関わった人間はどうだろうか。
「いいの? あの子が一生塔に篭っても」
「…………」

「飛ばせてあげて」

そういうとルックは身を翻す。
紫の衣装が闇にゆれ、そして遠くへ消えていく。



もしも。
彼を育て親と言う楔から解き放って。
空に解き放つ事ができたなら。
彼は自分を振り返るだろうか?

もしも。
彼の悩みを断ち切って。
空に放つ事ができたなら。

「……く、そっ」

損な役回りを押し付けられたと思いながらも、それでもラウロは分かってた。
自分には選択肢などないのだと。

 

 

 



***
ひたすらに暗かったため本編のページにはあげていません。いわば没ネタ。
4月1日の虫干しで一度公開していたんですが、比較的傷が浅いため(何)浮上。
シグールは出ていませんが、リーヤとラウロの紋章絡みのネタはこれ以上広げられないので、
これにてリクエストにお応えしたいなと……。

なにがアレってラウロからリーヤへの感情がよく分からなくなるっていうね!