廊下でなにやら話しているテッドとルックの姿が見えた。
話かけようと思って歩き出して、足を止めた。
代わりに、気配をなるべく消して身を潜める。
――懐かしい。
郷愁すら覚えるその光景は、二十年近く前はしょっちゅう見ていた姿だった。
テッドが何か言うと、ルックが口元に手を持っていく。
それは彼が笑っている印だ。
これだけ遠めでも二人の感情は手に取るように分かる。
ずっと、ずっと見ていたから。
分かっていた、自分はあの中に入れない。
本当は彼らの方が特殊で、その他の方が普通である。
それは、よく分かっていた、分かってはいたのだけど。
「何をしてる」
「うわっ!? ら、ラウロお前こそなにしてんだよ?」
「……リーヤ、ちょっと来い」
いきなり後ろから声をかけられてのけぞったが、ラウロは有無を言わさずリーヤの手を掴んんで引っ張る。
離せよーとぼやいてみたが、放す様子はない。
そのままラウロの仕事部屋まで引っ張ってこられた。
乱暴に部屋に放りこまれて、リーヤはなんだよーと呟きながら相手を見やる。
苛立った顔で腕組みをして、ラウロは椅子を指し示して座れとそれだけ命じた。
「んだよ」
「リーヤ、お前自分の立場自覚してるか?」
「は?」
「軍師の友人、剣もできれば魔法もできる、軍主もなついて頼りにしてる、軍の前身の纏め役もしていたアレストの知り合いでもある。そんなお前が辛気臭い顔で城内をうろつくな」
微妙な時期なんだ、士気に関わるだろーがと言われてリーヤはそっぽを向く。
「……辛気臭くねーもん」
べし、と。
ラウロの取り出したハリセンが容赦なくリーヤの頭に振り下ろされた。
いってーよと文句を言ったリーヤの口調に、いつもの快活さがない。
「どうした」
「……どーも」
「リーヤ、餓鬼じゃないんだからわかってる事は自分の口で言え」
そう言いながらリーヤの正面に座ったラウロに、リーヤは視線を向けず呟いた。
「お前ぜってー笑うもん……」
「笑ってほしいのか」
「……ちげーよ」
「じゃあ怒ってほしいのか」
「違うって」
「どうしてほしいんだ」
「……聞かねーでほしい」
「却下」
あっさりそう言い渡すと、ラウロはリーヤの髪の毛を引っつかむ。
ぐっと手前に引くとリーヤはわずかに顔をしかめた。
「いいかリーヤ。聞いてほしくないなら俺は軍師の務めで士気の低下を防ぐために聞いてるんだと思え。そうじゃないなら」
「ないならなんだよ……」
「俺はお前のたぶん一応友人だ、愚痴くらい聞く」
そう言ってリーヤの髪を離すと、ラウロは椅子に座りなおす。
足を組んで手を膝の上で組むと、溜息を吐いたリーヤがポツリと漏らした。
「ラウロは……わかんねーって」
ゲスッ
「っ!? 何すんだよっ!」
座っている椅子をラウロに思い切り蹴られて、尻を床にしたたかに打ちつけたリーヤは、受身を取るのも忘れ相手を見上げる。
冷えた目で見下ろして、ラウロは言い放つ。
「わからん事もわかるように話せ、お前の頭はその程度か」
「……そういう意味じゃねーよ」
「ああ、そういうものでもない。だが言う前にあきらめるな、わからんというのは俺の主観的意見でお前の意見じゃないだろうが」
「……言ったって、言ったってわかんねーよっ!!」
座ったまま目を伏せて叫んだ彼に、ラウロは足を組み替えた。
「――当ててやろうか、怖いんだろう」
「っ……何がだよ」
「昔から思ってたが、お前の世界はちっとも広がってない。リーヤ、大事なもの今思いつく順に挙げてみろ」
「…………」
「あててやろうか、育て親」
びくりとリーヤの肩が震える。
「でまあ次点にせいぜい俺か、あとはシグールとかレックナート様とかその他だな」
無言のリーヤにラウロはため息をついた。
「お前、七年間外で何してたんだ」
「……俺は」
十八の時、焦燥感に追い立てられて外に出た。
けれど、開放感を味わった事はない。
自由になったはずなのに、気を抜くと塔のことを思い出す。
帰らないというのは、意地だったのか。
見つかるのが怖かったのは、怒られるという恐怖にいつの間にかすりかえられていただけで。
「……見たくなかった」
自分だけ変わっていく現実を。
「俺だけ、成長して、歳とって」
置いていくのは自分のはずなのに。
置いていかれるような錯覚を覚える。
周りが皆そうだったからなのかもしれないけれど。
「俺だけっ――俺は、あの中に」
入れない。
だから逃げた。
離れていれば記憶の中で永遠に、自分も子供でいられたから。
クロスの背まで追い越して、本当に大人になっていってしまう自分が怖かった。
自分にとって絶対だった存在を、追い越したくなんかなかったんだ。
「身勝手だな」
「…………」
「考えても見ろ、本気でクロスやルックがお前の居場所を探れなかったわけないだろうが」
「……わかってる」
クロスやルックは、出て行った自分を追わなかった。
追えなかったのではない。
あえて、見逃してくれたのだ。
「わかってたんだろう、お前のことくらい」
「っ」
「……親ってそーゆーもんだろ」
俺は親になった事はないから知らんが。
そう言ったラウロを見上げて、リーヤは呟く。
「……だって、俺は」
あの世界しか知らない。
「俺は」
あのぬくもりしか知らない。
彼らがすべてで、絶対だ。
外の世界なんてどうでもいい。
彼らがいればどうでもよかった。
できる事なら、永遠にあのまま、あの時の中で止まっていたかった。
テッドにグリンヒルに連れて行かれた直後、酷くあの塔が恋しくなったのを覚えている。
「図体ばかりでかくなって中身はずっと五歳児か」
辛辣な言葉と共に、ラウロは床に座り込んだままのリーヤに立ち上がって腕をつかみ引っ張りあげる。
「テッドはお前に「外」を見せたくて連れ出したんだぞ」
なのにそんな事ばかり考えてやがったのか。
呆れたようにラウロに言われて、リーヤは俯いた。
テッドの意図は分かっていた。
それを皆が望んでいた事だって。
だけど、自分は。
「俺は……俺は、クロスとルックがいれば」
本当に大切なものは何。
そう聞かれて思いついたものはラウロに言われた通りだった。
「そんな事、彼らが望むものか」
一生塔の中で自分の子供が過ごすのを喜ぶ親なんていない。
分かったらとっとと吹っ切れこのマザコン。
そうとだけ言うとラウロは部屋から出て行く。
……自分の仕事部屋のくせに。
「……わーってんだよ」
分かってはいる。
理屈では塔の昔に理解している。
だけど。
「……しゃーねーんだよっ……」
感情がまだついてこない。