<軍主であること>
地図を開いてしゃべっていたマッシュは、軍主の視線に言葉をとめる。
どうしたのですかと目線だけで尋ねれば、ううんとゆるく首を横に振った。
「シグール殿」
「……なに?」
「なにかありましたら言ってくださらないと」
「いいよ、続けて」
頬杖をついた軍主に、マッシュは状況の説明を続けた。
迫る帝国軍。
彼らの進路を断つ作戦。
それは容易ではない、帝国軍は各地からの援助を受けつつ進軍し、その補給路を受けられない解放軍ではとても――
だからこそのマッシュの策。
尖兵を出し、撹乱させ、なるべく補給路から遠ざけて。
「以上で、よろしいですか」
「七面倒なの、ご苦労様」
率直にねぎらわれて、マッシュは言葉を詰まらせた。
シグールは言っているのだ。
もっと楽な方法があっただろうに、こんな作戦をたてるのご苦労様、と。
「わかって、いらしたのですか」
「僕は帝国将軍の嫡男で、ついこの間までは父上の後に続くんだと必死に学んできたんだよ」
にこりと綺麗な微笑を見せた。
「――無論、帝国軍の補給を断つのは……」
「知ってる。橋を落とし、村を焼けばいい。わかってる」
シグールはその指を地図に伸ばした。
すすす、と帝国の領地の穀物蔵がある線を結ぶ。
そこには帝国軍の最大の兵糧、そこさえ潰せればこの地は死守できるのだろう。
「僕はきっとここを、一帯を火の海にできるだろう」
静かな黒い目で呟いた。
「今の僕らならできるだろう。それで帝国に一矢報いることができるならやるだろう。僕らからたくさんのものを奪った帝国を」
「シグール殿……あなたはそんなことはしないでしょう」
少年の手にマッシュは自分の手を重ねた。
まっすぐに地図を見る彼の瞳に感情が映らなくなったのはいつからか――
「そうさ、僕はしない」
手を拳の形にして、彼は呟いた。
それは悲しみとも、憎悪とも、なんとでも取れる声だったけれど、ただほとばしる感情にマッシュは殴りつけられた。
「僕は私憤で戦わない。僕は誰も恨まない。僕は怒りを覚えない」
「……シグール殿」
「大丈夫だよマッシュ。君が担いでいる子供は我を捨てて泣いたりしない。憎悪に先走ったり、哀しみで動けなくなったりしない」
僕は、とシグールは笑った。
「僕は大丈夫。だから、全力の策を立てろ」
「……お気づき、でしたか」
マッシュは地図を見下ろした。
作戦の主力はシグールが率いると決まっていた、それはもはや暗黙の了解だ。
だが戦力を考えるに、その先陣に配置されるのはミルイヒだった。
彼はシグールの付き人の敵。
「しかし……兵が」
城内で殴りかかるほどではないとはいえど、グレミオを知る者の多くは内心穏やかではないだろうとの判断で、ミルイヒとその兵を作戦から外し続けていた。
そこをシグールに突かれたのだ、作戦ならば最善のものを、と。
しかし人の心は、それほど容易く納得できるものでも――
「この軍にいる以上、僕の命令に逆らわせない」
冷え冷えとした声だった。
「僕が協力しろと言えば協力する。和解しろと言えば和解する」
絶対的な確信の言葉に、マッシュはただ、頷いた。
(この人は……)
あまりに多くを背負って、あまりに多くを知っている。
もしも彼が凡人であったなら、もっと楽な生涯であっただろうに。
遠くにかすむ帝国軍を見つつ、ミルイヒは馬を寄せて軍主に並ぶ。
「……シグール殿、どうして貴方は」
「なに」
「このような、最前線に。尖兵ならばわたくしにお任せくだされば――信用していただいていないのですか」
まさか、と浅く笑ってシグールは棍を握り締めた。
「僕は常に前線にいる」
「何故」
決まっているじゃないか、と少年軍主は呟いた。
誰に聞かせるまでもなく、己に聞かせるわけでもなく。
「貴方もそれを僕に求めているだろう」
根を振り上げ少年は叫ぶ。
鼓舞するように号令をかける。
「全軍、出撃!!」
***
坊は暗いなあ……。