<軍主逃亡>





逃げよう。


ナナミの言葉はセノの胸を打った。
ずっと言いたかった言葉で、きっと彼女がそれを言ってくれるのを待っていた。


逃げよう。
逃げて、逃げて、遠いところまで。
この世界は広いんだ、きっと、都市同盟もハイランドも、誰も知らない場所がある。

「そうだね……行こう」
「ほんとに!? ほんとにいいの? うん、じゃあ行こう。ジョウイも……いつか迎えにこよう」


もう、本当に嫌だった。
どうして僕がジョウイと戦わなきゃいけないの。
どうして、みんな僕を頼るの。僕が、他の人と何が優れているって言うの。

手鏡を置いてナナミに手を引かれながら廊下をこっそりと行く中、セノは呟いた。

「……僕は、あの人みたいには、なれない……」

バナーの村で会ったその人は、凛とした強い目と深い瞳と、穏やかな表情を持っていた。
その強さは対峙するだけですぐに分かる。
辺りを圧倒する、強さ。
グレミオさんがずっとお側に仕えているけど、きっと彼は一人でも生きていける。
軍主だったときも、そうだったんだろう。
誰にも頼らず、一人で、ずっと、ずっとみんなを導いてこれたのだ。

シュウを困らせて、ナナミを心配させて、ビクトールさんやフリックさんに何かとフォローしてもらっている自分とは違う。
あの人が。


……僕が、あの人と同じくらいの年齢だから。
皆は、無意識に僕に彼を重ねたんだ。



僕は、英雄じゃない


ゲンカクじいちゃんは僕を育ててくれたけど、英雄として育ててもらってなんかない。


この紋章だって、偶然――……



「…………」
「っ!」

階段を下りようとして、暗がりの中から現れた人物に息を詰まらせる。
緑のバンダナが闇の中でも目立っていた。
「行くのかい?」
「っ!」
静かな声に、ナナミが一歩下がる。
「と、とめないでくださいっ」
「僕は、この国の人間じゃないし、ネクロードと因縁がないわけじゃないけど、興味はない」
穏やかに話すその人は、何かをポケットから取り出した。
「君達がどこに行こうと、関係がないからね」
ナナミに向じゃって弧を描き投げられたそれを受け止めた彼女は、目をぱちくりさせてシグールを見返す。
「こ、これは……?」

「特効薬とお弁当。道中必要だろうから」

じゃあね、と手を振るシグールの温かい声が、胸に痛かった。
……僕は、逃げ出す。
背を向けて、全ての人の信頼を裏切って、逃げ出す、んだ。


「――……セノ君」
「……はい」


「気をつけて」
「っ」


ぎゅっと固く目をつぶり、階段を下りると、玄関の前に仲間が二人立っている。
心臓が凍ったような錯覚を覚えて、ナナミの手に縋りついた。

「逃げるのかい……」
「ごめんなさい。お願い、通して。ね、ね、お願い?」

ナナミの言葉に、アイリが苦笑する。棍を握り締めセノの前に立ったナナミに、ルックが一歩下がって溜息を吐いた。
「慌てるなよ……止めにきたんじゃないよ……」
「セノ、つれないじゃないか。二人だけで行ってしまうなんて。わかってるよ……でも……途中まで付き合うよ」
「あ、ありがとう……」
呆然として言ったナナミの後ろで、セノは彼女の手を握りしめて震えていた。



ごめんなさい


本当にごめんなさい


こんな僕なのに




最後まで











助けてくれたとナナミに言われ、礼を言うと律儀だと苦笑される。
その中年男性は、遠いところを見る目で、セノに言った。
「義務感に押されるのではなく、少年、おまえ自身の思う道を辿るべきだろうな」
……僕の思う道。
……それは、なんだろうか。

この国の平和?
戦争の終結?
皆の期待を裏切らないこと?

それとも


それとも



――全てから逃げて、静かに暮らすこと?



それとも

それとも


「……僕は」


きっと、ただ、会いたいだけなのだ。
もう一度、笑いあいたいだけなのだ。
彼の、年相応の屈託のない笑みを見たい。
あの声で呼んでほしい。

「っ……」


ジョウイ。
ジョウイ。
どこにいるの。
どうしてここにいないの。
どうして僕の側にいてくれないの!?


「セノ、行こう」
ナナミに手を引っ張られて、セノは転ぶようにして走り出す。
次の村が見えたと思った瞬間、全身から力の抜け出る感触がして、セノは地面に転がった。

「セノ!」

響くナナミの悲鳴が、とても遠くに聞こえる。









起き上がった時、ナナミの顔は暗かった。

「みんな、何もかも捨て去って・・・逃げるなんて・・・わがまま・・・だったね……」
「そんなこと……ない」
最初に捨てる羽目になったのはどうしてだった?
わがままを言ったのは誰だった?

・・・セノは唇を噛み締める。
どうして自分が軍主になってしまったのか分からない。
誰かがやらなければいけない、でも自分である必要性が見えない。
皆がセノを慕ってくれる、でもそれは――でもそれは、セノ自身の力ではない。
シュウと、ビクトールさんにフリックさんと、ナナミと、それに色々な人がセノを助けてくれ、全てをセノの手柄にしてくれたからこそだ。

「僕は、飾り物なんだよナナミ……」

皆の考えている事が分からない。
戦局を説明されてもついていけない。
作戦なんて、立てられなくて、全部シュウの言うがままだ。
どんな顔をして軍主だと言えるだろう?

「!」

外から剣の音がする。ナナミが出て行ったので慌てて後を追う。
これで、ナナミまでいなくなってしまったら、どうしたらいいか分からない。


飛び出した先によく知った人物がいて、セノの足がすくんだ。


なんで、こんな所まで。


「セノ殿。もう、いいでしょう。あなたにもわかったはずだ。貴方が多くの人々に必要とされていることを……どうか、軍にお戻りください」
シュウ。
どうして。
こんな、所まで。

そんなに軍主の僕を手放したくない?
何の役にも立たない僕を、どうして?
……都合がいいから? 何も知らない方が都合がいいから?


――……ジョウイ、助けて。


「いやだ! 戻らない!」
きっと睨みあげて怒鳴った主に、シュウは厳しい顔で応対する。
「貴方は見たはずだ。多くの村が、そこに住む人々がどうなったか。それでも行くと仰るのですか? 貴方を信じた人々はどうなる?」

―――よろしく頼みます、リドリー殿。
―――もちろんだ。彼は私の誇りだ。

出立前に彼と交わした会話が蘇る。
あの誇り高い武人が、仕えると決めたこの少年は。
曇っていなかった目に涙を溜めて、全身全霊で抵抗をしている。

「でも……僕は……」

震えるその顔は蒼白で、体調もよくないのだろう。
シュウは目を細めて、言葉を繋げる。
――分かっていないのだろう、きっと、セノは、彼の重要さを。
どんなに実力があったところで、どんな策を練れたところで、「軍主」の役職には就けない。
だからこそ、自分は彼を押した。彼に仕えることを決めた。
あの強い眼差しを取り戻したくて、シュウは必死に言葉を発する。
「リドリー殿は戦死なされた」
雷に打たれたように、セノとナナミは顔を上げる。
「セノ殿、貴方が逃げ出した次の朝、ネクロードがティントに奇襲をかけました。市民達が逃げ惑う中、ビクトール、クラウス、リドリー殿、みなが、貴方を探して戦いました。その戦いの最中……」

伝令にも書いてあった。
セノ様がご無事だといいのだが、そうであると祈っている、いや、信じている、と。
書いたのが誰かは分からぬが、そこにあるのは希望と信頼。

それを、分からなかったとは言わせない。


バシッ


乾いた音とともに、じんわりと頬が熱くなる。
見下ろしてくる黒い目は、何かを堪えているような顔で。
「セノ殿、私は主君に手を上げました。その罰は受けさせてもらいます。しかし、その痛み、それは貴方を信じていた人々の受けた痛みと思ってほしい」

広がる痛みに、セノは頬に手を当てる。
じんわりと、堪えていたものが溢れた。


人が、死ぬのは嫌だ。
苦しむのを、見るのも嫌だ。
――だから、ユニコーン少年部隊兵に志願したんだ。
少しでも、手助けになればと思って。


「……僕、は」
「もう一度言います、軍にお戻り下さい」

ナナミの手が、右手をきゅっと握った。
見上げるシュウの目は、横のアップルと違って、怒りを露にしていない。
それでも、きっと怒っている。


……いっそ、怒鳴ってくれればいいのに。
お前なんていらないといってほしかった。
そうすれば、逃げようとも思えたのに。

「……私では、無理なのです、セノ殿」
溜息とともに言われた言葉に、セノは一瞬思考を止める。
「貴方でなければ、いけないのです。リーダーの資質とは、そういうものです」
セノの前に膝を折り、シュウは幼い主君を見上げる。
何が他の子供と違うのか、正直シュウにもよくわからない。
だが、彼の持つ輝きに、人々は希望を見る。
彼の温かさに、未来を見つける。

初めて会った時と比べると、ずっと強くなったと分かるのに。
―――本人は気付いていないのだろう。

「私は貴方に仕えると決めた」

見上げてくる視線が、痛い。

「私は私が正しいとわかっている。貴方はわからないかもしれないが、皆が貴方を必要としている――セノ殿」


一度言葉を切って、シュウは続けた。


「必ず貴方をお守りする。貴方自身も、貴方の夢も」
「っ」
「……たとえ、貴方が我々を捨てても、我々は最善を尽くす」
「そん、なっ」


卑怯者と、罵る声が心の底から聞こえた。
ここまで言って、セノが逃げるはずがない。
それを分かった上での、詭弁。

「――どうして、そこま、で」
「貴方が私の主だから」
「僕はっ――僕にはそんな資格、ないっ!」
「誰が貴方に資格がないといった?」

言葉を飲み込んだセノが、呆気に取られた顔でシュウを見つめ返す。
「皆が貴方に資質があるというのです、ならばそれはあるのです。どうして、もっと私達を信じない!」
「!」


「……セノ殿、まだ幼い貴方にこの責務が重いのはわかっています。ですが――どうしても我々は貴方を、失うわけには、いきません」


「うん……」

小さく呟いて、セノは頷いた。




「わかったよ……ごめんなさい」

「お戻りください。クロムの村でビクトールたちがティントにもぐりこむ作戦を立てています。いそげば、間に合うはずです。戦いはまだ終わっていません」

「……シュウ」
「はい」



「僕は……どこに行こうとしてるのかな」
「――後悔は私がします。貴方は思った道を行ってください」

「……うん。ナナミ、ごめんね、帰ろう」

泣きじゃくる姉の手を引いて、セノは力なくルックとアイリに向って微笑む。
「ごめん、ね」
「……別に」
「いいさ」

そっぽを向いたルックと、小さく微笑んだアイリと、そんな二人にごめんねともう一度呟いて、セノはフリックを見上げる。
「フリックさん――行きましょう」
「休んでもいいぞ」
「平気です。僕が何かできるなら、それがいい」

強い目で言い切った少年の頭を、フリックは無言で撫でる事しかできなかった。

 

 

 

 



***
2主逃亡イベントをやるとシエラ様のイベントができない。
かといって二度もあの膨大なセーブデータ―を弄る気にもなれない(セーブしていなかった人)

……正直に言います。シュウを取りました。