来ないようにと祈っていた。
逆に、いつか来るものだともわかっていた。

「全軍、出撃せよ」

そう言った自分の唇は、きっと氷でできているのだ。





<離別>





マッシュより伝達が下った解放軍は震撼した。
五大将軍の中ではおそらく最も強力な人物を相手にした、解放軍の命運がかかった一戦が、始まろうとしている。
そして、この戦いはそれ以上に大きな意味を持っていた。

彼らの誰もが知っていた。同じ志の元に集った。
その熱い情熱を持った人々の頂点に立っているのは、シグール=マクドール。
これより彼らが対峙する帝国軍を率いる、五大将軍の一人。
テオ=マクドールの、嫡男だ。

血を分けた親子なのに、異なる志の元、異なる理想を胸に抱いて、異なる信念を貫くため。


今ここに、戦場が開く。

















自ら戦地に降りて軍に混じり、シグールは一心不乱に棍を振るっていた。
秘密兵器の威力は凄まじく、突撃すればするほどに兵を屠ってゆく。
倒れてゆく敵の兵の苦悶に満ちた顔や、なぜという思いを浮かべた顔を見ないようにして、血飛沫に染まる。

その中にあの人の姿がいない事を願って。

軍主を始めてかなりの時が経っていた。初陣からもう……どれだけか数える気もしない。
めまぐるしいほどの月日の中で、それでも忘れない事がある。
あの、初めて自軍が敵を屠った瞬間を。
奪った命は等しいはずだった。
もしかしたら友人、親戚、隣人――どれである可能性もあった。どれであってもおかしくなかった。
それでも自分は出撃を命じ、相手を効率よく倒す方法を考え作戦を指揮し、軍を整えた。

奪われているのは人の命、かけがえのないもの、取り返したいとついこの間自分が血を吐くほどに願ったそれ。
失われてしまえば二度と戻らない。
あの柔らかい微笑みと揺れる金の髪と、優しい手と穏やかな声と、温かな料理と。
それらは全て消えた。

亡骸すら。




「――っ、突撃っ!!」


全てを振り払って大声を上げる。
自ら武器を手にとって、雄叫びを上げながら、最前線と共に切り込んでゆく。
動いていないとおかしくなりそうで。
叫んでいないと狂いそうで。
血を浴びていないと実感がなかった。


歓声が上がる。

「シグール殿!」
駆けつけてきた軍師に、気の抜けたような笑みを見せると、ほっと溜息を吐いて深々と頭を下げてきた。
「おめでとうございます、我らが軍の勝利です」
「……そう、か」
呟いた軍主は跳ね返った血を拭い、マッシュ、と声をかける。
「見事な作戦だった」
「ありがとうございます」

では、と促され、敵の頭がいる場所へと向かう。

敵の頭が。




……ああ、何ヶ月ぶりの再会だろうか?















「テオ=マクドール殿。貴方の軍勢は打ち破られました」

突きつけられた現実に、アレンは歯噛みする。
負けた。反乱軍に、帝国軍の我々が、負けた。
いや、実力は明らかにこちらが――向こうが妙な武器を持っていて。

「ここは、潔く降伏してください」
「何を言うか!」
考えるより先に口走っていた。
「我軍は、最後の一兵になろうとも、降伏などするものか」
「この命、帝国のため、テオ様のため捧げましょう」
すぐに後に続いたグレンシールと視線を交し、自分達の志は一つと確認する。
帝国のためなんてのは半分嘘っぱちだ。
全ては、テオ様のために。我らが主の。

アレンの視線が、こちらを見つめる黒い瞳に出会う。
よく見慣れていたはずのその顔は、年相応だった幼さだけが根こそぎ削げ落ち、精悍というにも恐ろしげな容貌を湛え、結ばれた口元と強く光る眼には、獰猛さが宿っていた。
猛る竜のような。
その眼が僅かに緩み、武器を持つ手が握りなおされる。
動揺しているのか、もしかしたら説得次第ではこちらに引き込めるのではないか。
そう思ったアレンは次の瞬間、その考えを撤回した。

動揺しているのではない。
彼は、坊ちゃんは、シグール様は、分かっている。

「アレン、グレンシール、下がっていろ」
嫌な予感は的中する。
「何をする気ですかテオ様」
「アレン……下がっていてくれ」
再三度の主の言葉に、アレンは唇を噛み締めてグレンシールとともに一歩下がる。
逆に前へ出たテオは、その眼でまだ自分よりだいぶ低い背の解放軍軍主を見据え、言い放った。

「皇帝陛下バルバロッサ様に弓引く逆賊。天下の大罪人シグール=マクドールよ」
シグールの両隣に控えるクレオとパーンは、何かに撃たれたような表情となる。
中央にてその言葉を受けていたシグールは、きっと帝国軍将軍を見返した。
「このテオ=マクドールが、皇帝陛下に代わり征伐する。この勝負、受けてもらいたい」

解放軍軍主は前に出る。
後ろで固唾を飲んで見守っていたビクトールが叫んでその手を伸ばした。
「シグール!」
マッシュもシグールの腕に手をかけて、後ろへ引っ張る。
「シグール殿、馬鹿なまねはしないで下さい。ビクトール! その男の首を刎ねろ!」
軍師の命にビクトールが武器を構える寸前、マッシュの手を振り払いシグールは彼に一瞥をくれる。
底まで凍った湖のような、冷たくて澄んだ目。

「…………」
黙ったマッシュを背に、一歩進んでシグールは見上げた。
「帝国軍将軍」を。見慣れた父という人の顔と声の、「帝国軍将軍」を。
「その勝負、受けましょう」
凛とした声が紡ぎだす、その返答にクレオとパーンは目を見張る。

「ありがたい、いくぞ!」

武器を構えたテオとシグールには、誰にも近寄れない空気が漂う。
その中で、佇んだテオは少し顔をゆがめて言った。


「こんな日が来るとは思わなかった。しかし私は帝国のため、そしてお前は解放軍のため……」


そして打ち合いが始まる。
テオの白刃の光りと、シグールの赤と緑が、見ている人の視界に酷く焼きついた。

そして。

シグールの棍がしなり、唸りを立ててテオへと命中する。
呻き声をあげ、足をつき、両手をつき――それでも支えきれずテオはその場に倒れる。
「りっぱに……なったな……」
呟いた言葉に反応したのか否か、シグールの手から武器が落ち、からんと音を立てて転がった。

「っ!!」

悲鳴に近い声を上げて、倒れた父を抱き起こし、頭を支えるシグール。
「テオ様!」
叫んだクレオとアレンが駆け寄り、グレンシールとパーンもそれに続く。
シグールの膝の上に乗せられた頭を僅かに動かして、テオは弱々しく口を動かした。

「シグール=マクドール……我が息子よ……強くなったな。お前もお前の信じたもののため、生きるがいい。私は、お前の選択を祝福しよう……」
「テオ様! しっかりしてください!」
「テオ様、死んではなりません。貴方が死んだら、帝国はどうなるのです」
口々に叫ぶ家人の姿は、もう見えなくても。
頭から感じる息子の体温と、その手と、ぼんやり映る赤と緑と黒。
いい顔をしていた、軍人の顔だ。嫌いではない、だが、息子は成長を早まってしまったかもしれない。
それはそれでいいのだけど、だから。

「アレン、グレンシール。お前達に頼みがある」
せめて。
「なんでしょうか、テオ様」
「私は、皇帝陛下……ただ一人のために戦った……それは……私の意地でもある……しかし時代の流れはもう止めること、はできない。アレン、グレンシール、お前達は……解放軍に、息子に、力を貸してやって ほしい」
せめて。
彼が信じたことをやり通せるように。

僅かな、餞では、あるのだけれど。

「それが……お前達のためにも……なるはずだ……」
「テオ様!」
叫ぶアレンにぎこちなくテオが微笑む。
その痛々しさにクレオの目から涙が落ちる。
テオはゆっくりと体を動かして、手を伸ばし、一声も発さず彼を見続けている息子の頬を触る。

「シグール……我が息子よ。私は幸せだよ、父にとって我が子が、自分を越える瞬間を見ることが……できるのは……最高の幸せだ……」
俯いているシグールの顔を見る事は誰にもできない。
けれど、彼の細かく震えている体が、全てを語る。


「頑張れよ……我が息子……シグール……」




溶けるような祈りの言葉を残して、テオの手が地面に落ちる。
アレンがガクリと膝をその場に折り、クレオは悲鳴を上げてよろめいた。
それを後ろから支えたビクトールは、厳しい顔でシグールを見やる。

実の父親を手にかけた。
大丈夫なのか。先日のグレミオに引き続いて、これで。
――なんて、呪われた……これが彼の背負うものか、こんな、愛しい人の血に濡れた道が。

「……マッシュ」

テオの頭を抱えたまま、シグールは落ち着いた声で軍師を呼ぶ。

「はい……なんでございましょう、シグール殿」
「こちらの被害は」
「八百人ほどでございます」
「そうか――全員をねぎらい、休息を。ビクトールにパーンはクレオを頼む。アレン、グレンシール。仲間になってくれるか?」


ゆっくりと顔を上げた彼の頬には。
涙の一粒もなく。
その瞳は、どこまでも乾いていて、どこまでも凪いでいた。


「――はい、シグール様」

それが、彼の人の意思ならば。















地下に安置してあった棺を覆っていた布を外して、シグールは小さな声で笑った。
「……お久しぶりです」
追われたあの時、真直ぐ北に向かっていたらどうなっただろうか?
父は自分を庇ってくれただろうか?
……迷っても、きっと、突き出した。そういう人だから。
「勝てて、嬉しいです」
越える事が目標だった。
遠い目標だと周りには言われたけど、いつか、「さすがテオの息子だ」と言われるように。
父が誇りに満ちた目で、自分の事を語れるように。


「――不肖の息子で、ごめんなさい……」

けれども、止まる事はできない。
逃げる事もできない。

あまりにもたくさんの人の命と希望が、シグールの肩にかかっている。
きっとそれは、父も同じだった。


「……シグール、もう、でろ」
静かな声を掛けられて、振り返ったシグールはああ、と言う。
「フリックか」
「その……ここは、冷えるし」
「……そうだね」

微笑して布を掛けなおし、通路口に立っていたフリックの肩を擦れ違い際にぽんと叩く。
「怪我は、治しておけよ。すぐに遠征だ」
「っ!」
「気を抜くな――まだ半分なんだから」

「お前っ――その、あの……」

「君に心配されるほど落ちぶれてないよ」
振り返って笑ったシグールの顔は、闇に溶け込んでいて分からなかったけれど、かすかな皮肉を含んだ声はよく跳ね返った。
「覚悟の上の喪失を、嘆くのはみっともないからね」

 

 

 

 



***
一連のイベントをネクロードまでこなして思ったこと。
ビククレはアリだと思う。
シーナ、お前はジーンさんでも狙ってろ。

この時期の坊ちゃんはルックに何か通じるものがある。