<悲しき決意>





ジョウイは拳を握りしめる。
今二人が通っている界隈は、とても豊かとは言えない場所だった。
ここ数年、天災が相次ぎ、飢餓が恒常となっている。

そんな中を、セノとジョウイは強行突破していたのである。

理由はある。

先日新たに開かれた港へ、祝言を述べに行っていたのだ。
王座を辞退して隠居生活を送っているとはいえ、デュナンの王は依然としてセノであり、国民の意識もそうである。
シュウの送ってきた伝令曰く、「開発に巨額の資金を寄付してくださった、トランの名士たってのお願い」という事だったが、内戦がようやっと落ち着いたデュナンに港を造るのに、金を大量に出す物好きなんて一人しかいない。

……奇しくも、というか必然的にも、その名士サマとは顔見知りというか知り合いというか腐れ縁というか、とりあえず知人だったので、一蹴するわけもいかず。
当のご本人は一般人に混じってほけほけと笑っていやがったが。

無論、ジョウイの方は公の場に姿をさらせるはずもないので、簡易な変装をしてずっと隠れていた。


その、帰り道、なのである。

最短距離で家へ帰れる道を選んだ結果、迎えのあった行きは海岸沿いに北上したが、何もない帰りは陸を突っ切って南下する事になった。


「酷い……」

内戦の爪跡は生々しく残っている。
海岸沿いの町々は交易のおかげで潤っているけれど、山間の村はそれがない。

生気を失った人々、飢えに泣き叫ぶ事もできない子供、死んでも放置されている人。
畑も耕される事なく、この村は急速に唯一つの道へと突き進んでいる。
「死」へと。


前を歩くセノがぴたりと足を止めて、ジョウイは唇を噛んで同じくそれに習う。
十年以上、ずっと彼を見ていたジョウイは知っている。
この子が、どんなに優しく、慈悲に溢れているかを。
こんな状況を見て、平然としていられるはずがない。

「ジョウイ」
「……うん」
泣いてしまわなければいいのだけど、と心配しつつジョウイは柔らかに応答を返す。
「疲れたら休むよ?」
「――え」
「なんか、歩くの遅くなってない?」
「――……い、いや」
じゃあいいけど、と呟いてまた前を向いて歩き出したセノの背中を見て、ジョウイは歯噛みした。
これが、彼に戦争が残した、爪跡か。
あの優しかった子が、眉一つ動かさずに、この惨劇の中を通り抜けれる、それが。

それは、自分も大いに関与していて。
この子が。

「セノ」
「なあに、ジョウイ」
「……少し、休もうか」
「いいよ」


村の端の方に立っていた木の根元に腰を降ろしたジョウイは、横目でセノの様子を覗う。
その顔色は変わることなく、いつも通りに空を見上げていた。
何も感じていないような、横顔。

その目がジョウイへと向けられ、視線が合って首を傾げる。
「ジョウイ?」
「……ねえ、セ」
次の瞬間、ジョウイの横で影が動く。
とっさに身を動かして、ジョウイはその影を捕らえる。
「はなっ、はなせよっ!」
喚いた人影は、まだ十に届かないくらいの少年。
その手には、ジョウイの荷物が握られていた。

飢えに困窮して故の、盗み。
大した路銀はないけれど、全てあげれば少しは食いつなげるか。
そう判断してジョウイが手を緩めようとした時、横のセノがジョウイの離しかけた子供の腕を捕らえ口を開く。

「荷物、返して」
「セ、セノ?」
まさか彼がそう言うとは思わなかったジョウイが、誰より驚いて返す。
セノなら、頷いて全て差し出す――そういう子なのに。
たとえそれで自分が飢えようとも、平気で、それで自分が死のうとも、笑える、そういう子、のはずだ。
「それがないと、僕達家に帰れないんだ。ジョウイの荷物を返して」
「やっ、やだっ」
「少しなら食べ物もあげれるよ。でも、全部はダメ、返して」

言い切ったセノの、見かけよりずっと強い握力が、少年の手首をぎりと圧迫する。
苦痛に顔を歪めて、荷物を離したのを見ると、ぱっと手を離し、落ちた荷物をジョウイに渡すと、自分の荷物から今日の昼食に買い求めたサンドイッチを差し出した。
「はい」
「っ」
引ったくるようにセノの手からそれを奪い去った少年が走っていくのを見送って、セノは何事もなかったようにじゃあ行こうかとジョウイに言う。


けれどジョウイは気付いた。
少年を見送るセノの目が、とても痛々しかった事に。
セノは、確かに傷付いていたのだ、何もできない自分に。

それなら、どうして、何も。


「セノ」
「なに、ジョウイ?」
「どうして、君は――よかったのに、お金も、あげて」
「……あのね、ジョウイ」

足元の石飛礫を蹴り上げて、セノは小さく笑う。

「僕は、王様の責務から逃げたんだ」
「……それは」
「だからね、デュナンの人を救うことなんて、できないんだよ」
「っ」

「お金全部渡したら、僕とジョウイが無事に家まで帰れない。飢えて死にそうな子供より、僕は僕とジョウイを優先させたの」

それは、セノがあの刹那に下した決断で。
間違っているとは思わない、誰にも言わせない。
本当に本当に大切な人と、何百何千の人と。
その二つを一瞬でも天秤にかけようと思った自分では、もうとうに結論が出ていた。

「ずるいってわかってるけど、だから僕は、救いたいふりだけをするなんて許せない」

可哀相と泣くのは簡単で。
全部差し出そうとするのも簡単で。
けれど、この村の人を救うための権限を、自分はかつて放棄した。
目の前のたった一人の、愛しい人を得るためだけに。

この人が死んだらこの村は助かると聞いたら。
国中から飢える子供がいなくなると聞いたら。
それなら、この人が死んでもいいか?

――答えは、否。

「ジョウイを死なすぐらいなら、僕は、いい」
目の前の子供が救えなくても。
「そう思った、だから、今も、それを貫かなきゃいけない」
気まぐれで助けたりしちゃいけない。
それは、心優しい彼が己に課した枷。


「っ、セノっ」
淡々と呟くセノを、いたたまれなくなってジョウイは抱きしめた。
知っている、どんなにこの子が心優しいか。
傷付いている人を目の前で見るだけで、泣いてしまう。
けして弱いのではなくて、心底思いやれるからこその、その優しさ。
そんな彼が、己と交わした制約はあまりに重く哀しい。


「いいんだよ……」

人を哀れみ、不幸を嘆き、悲しみに同情する、それは。

「君は、君らしく嘆いて、いいんだよ……」

人である事の証であるから。


「でないと、僕は」


忘れてしまう。
人はそれほどまでに優しくなれて、それほどまでに透明な涙を流せる事を。

あの時、完全に忘れ去っていたように。
残虐な事を、平気で行えていた時のように。


「セノ」
「…………」
「セノ、君は君らしくしていて、いいんだよ」

「だ、って」

「泣きたいなら、泣いて。同情する時はそうして」
彼が選んだ結果の自分が、そう言うのはきっと浅ましい。
それが分かっていても、ジョウイは言葉を止められない。
「僕は、君がそうやってくれていないと」


忘れてしまう。


人は本来、慈しむべきであるという事を。


「僕は」
「……僕は、ジョウイを、支えられてる?」
くぐもった声が腕の中から響いて、ジョウイは力を緩めると頷いた。
見上げてきたセノの大きな目が、数回瞬いた。

「僕は、こんな、子供みたいな感情でも、ジョウイを支えられてる?」
「――セノが、セノらしくしてくれてるのが、一番、いい」


「――っ」


そう言ったジョウイの腕に縋って、セノは大きな声で泣き出した。
いやだいやだ、見たくないこんなの。
哀しい、辛いよ、悲しいよ悲しいよ。
支離滅裂な言葉を繰り返しながら、何度も何度も、血を吐くような声で泣く。

「――じょう、い」
「……うん」
「やだ、よぉ」
「……うん」
「どう、すれば、いいの、かな」
「シュウさんに報告して、祈る、しか、できないね」

「……うん」


それが、無駄になる事は二人とも分かっている。
シュウとて、好きで放置しているわけではない、どこもきっと似たような状況なのだ。
迅速に政治体系を整えているものの、根底からひっくり返ったに近い状況では、中心部も大分混乱しているだろう。
五年か、十年か。
落ち着くには、もっとかかるかもしれない。


王になっていたらまた違ったかもしれない。
英雄セノの名の元に、もっと上手く事が運んだかもしれない。
その後悔と痛みは、これからずっと背負っていくものだ。

国より互いを取った、その代償はこの罪悪感。


「それしか、できないね……」


だけど、何もできないという事は、嘆いてはいけない理由ではない、と思いたいのだ。
力があったのに投げ捨てた自分達が言えた事ではないのだけれど。
きっと大勢の人は、何をわがままな事をと責めるのだろうけれど。

「ごめん、なさい」

それより大切なものが、本当になかった愚かな自分達でも。


「……ごめんなさいっ……」


まだ他者へ嘆く心はあるのだと、ただそう己を慰めるために。

 

 

 




***
最近ジョウ主(というかジョウイの存在感)がなかったので補給。
……ギャグ書きたいのに、なんでだ。

坊と2主は微妙に立場が被っていますが動機は違います(という自分設定