<出会い>
ざあ。
ざあ。
雨が、降る。
水滴が髪を伝い服を濡らし、ブーツの中まで水溜まりができて、体温を徐々に奪っていく。
爪先を僅かに靴の中で動かしてみるも、凍りついたように動かない。
足自体を動かすと、ブーツの中でくちゃりと濡れた音がした。
濡れそぼった灰色の布を頭からすっぽり被って、叩きつけるような豪雨の中、少年は木の陰に身を潜めている。
近頃はめっきり追っ手もないし、これだけの雨ならモンスターの心配もないだろう。
雨なのが不思議なくらいに冷たい冷たい冬嵐。
濡れた体に北風が吹けば、凍りつくような錯覚を覚える。
ただ唯一冷たくならないのは右手で、そこは不思議と暖かい気がした。
目の前に落ちてくる前髪をかき上げる元気もなく、虚ろな目が雨に濡れる平原を見つめる。
時刻は感覚が正しければもう午後、雨が上がっても日が出る時刻ではないだろう。
このままこの場所で意識が遠のければ、翌日は立派な氷浸け死体の出来上がりだと分かってはいたが、立ち上がる気もしなかった。
草の上に手の平を向けて置かれた右手が、まるで自分以外のものに見える。
このままここでこの身が朽ちたら。
どうなるのだろうか。
最寄の人間に憑りつくのだけは止めてほしいが、そんなの知った事かと呟く自分もいる。
ああ、もうだめかもしれないな。
幾度も思った事を再び思う。
目を閉じてしまえ、そして闇に身をゆだねろ。
そうすれば、楽になれるから。
誘惑に負けて目をゆっくり閉じると、広がった暗闇に赤と緑が翻る。
次の瞬間にはっと目を開き、小さく溜息を吐いた。
そう、まだ自分は捕らわれているのだ、あの遠い昔の言葉に。
――また会えるから
「ふっざけるな……」
三百年経った。
あれから三百年も経ったのだ。
「いつだよ……どこにいるんだ……」
名前を教えてほしい。
彼の名前を呼びたい。
その顔を見たい。
そうすればきっと、何かが、変わる。
会いたい。
きっと、三百年も生きていたのは、彼に会うため。
ざあざあと打ち付ける雨に顔を上げて、声にならぬ声で呟いた。
がらがらと馬車馬の足音がする。
雨に打たれている彼の前をかなりの速度で通過し――この先の町に日暮までにつけるよう急いでいるのだろう――車輪が跳ね上げた泥を持ち上げたマントで遮った。
そのまま馬車の事は彼の頭から消え去る、はずだった。
走り去ったのより速いスピードで馬車が引き返してこなければ。
「テオ様! せめて外套を!」
叫ぶ声が聞こえる中、馬車から飛び降りてきた中年男性が、木にもたれかかっている彼の前へと歩いてくる。
「子供が、こんな所で何をしているのかね?」
「…………?」
虚ろな目を向けて、首を傾げた。
誰に、話しているのだろうか。
「君の家は?」
「……ああ」
どうやら、家出少年とでも思われたらしい。
たしかに、こんな天気の中十代後半の子供がうろついていれば誰だって不審に思うだろう。
自嘲気味な笑みを漏らしてから、首を振った。
「家は、ない」
「……孤児かね」
「まあな」
「そうか……」
呟いた彼は、躊躇いなくその手を差し出した。
雨に濡れそぼった服は、どう見ても高級な物で、銀色のカフスが袖口で鈍く光っていた。
後ろから慌てた様子の人物が駆けてきて、なにやら肩にかけ頭の上に傘をかざす。
「テオ様っ、何をなさっていらっしゃるんですかっ!」
「子供だ」
「……素性の知れぬ者に一々……」
「黙っていろアレン。――おいで、このままでは凍死してしまう」
穏やかな表情を浮かべたテオと呼ばれた男を、彼は無言で見上げる。
その細められた瞳の色が覗えず、テオは彼に覚える僅かな違和感を感じ取った。
十代後半の、丁度息子と同じぐらいの年の少年。
それなのに、やたら老獪した色が見えた気がした。
「……ほっといて、くれよ」
「そうもいかん。アレン、担ぎ上げろ」
「はっ!?」
思わず問い返す若き部下に、テオは再び繰り返した。
「担ぎ上げて馬車の中に放り込め」
「し、しかしテオ様……」
「全く、近頃の若いものは……」
ぶつくさ言いながらテオは人のいい笑みを崩さないまま、うずくまっていたテッドをひょいと担ぎ上げる。
思いもよらぬ行動に対処が遅れたテッドが脱出しようともがくが、あっけなく馬車の中へと投げ入れられた。
逃げ出す隙もなく馬車は出発する。
捕らえられた動物のような目で睨んでくる彼へ、テオは真新しい乾いた布を差し出した。
「名は?」
「…………」
「ちょうど、私に君と同じくらいの息子がいてね」
「…………」
「助けた礼に、一度話してやってはくれないか、なにしろ同年代との関わりが全くないまま育ててしまってね」
「助けられた、覚えは、ないが」
たまたま宿に入り損ねて、マントに包まって腰を下ろしていた。
そこへ近年稀に見る豪雨が降り注いだ。
よくある事では無いが、別に全くないわけでもなく。
「アレン、御者に伝えてくれ」
「は……?」
「このまま町に泊まらず屋敷まで直行せよと」
「はっ? テオ様、着くのは明日の明け方になりますよ!?」
かまわん、と言い捨てテオは隣で固まっている彼へ意地の悪い笑みを向けた。
「だから君は、ゆっくり考えるといい、少年」
「…………」
「食料は幸い十分に積んであるからな、酒は飲めるか少年」
「…………」
「濡れた服は替えたほうがいいな、私のよりアレンの方があうだろう、少年」
「…………」
「ほら、いつまでも髪が濡れたままだと座席が濡れるぞ少年」
「……テッドだ」
根負けしたように呟いた彼は、ガクリと項垂れわしわしと髪を布で拭く。
屈辱だ。
こんなに生きてるのに遥か年下の男に丸め込まれるとは屈辱だ。
「テッド君、息子の事を頼んだぞ」
なんでそこで俺が頼まれなきゃいけないんだよ。
胸の内で呟いて、彼はまだわしわし髪を拭く。
「テオ様、ですから素性の不明な相手に坊ちゃんの」
「アレン、あいつの父親は私だ。そして、私はあいつをああ育ててしまった事を悔いている」
息子はな、テッド君。
そう切り出したテオの横顔は寂しそうだった。
「笑わないのだ――微笑むだけなのだ。ここ数年、ずっとな」
話を聞いてやってほしい、私にはできない事を。
そう言われて、俯いた。
そんな事は無理だ。
だって、きっと彼と自分とはかけ離れた存在で。
一睡もせず逃げ出す隙を覗っていたが、ついに逃げる事もできず、着いたぞと言われしぶしぶ馬車から降りる。
ずっと座っていたせいで節々が痛い。
「お帰りなさいませ」
歩み寄った使用人らしき人物に二言三言声をかけ、テオは彼を振り返る。
「こっちだ」
無言でテオの後について歩く彼は、豪奢な室内をきょろきょろと見回していていたが、屋敷の奥に入るにつれ、その足取りは重くなる。
「グレミオ」
廊下で声をかけられた男性が、振り返ってふわりと笑う。
「テオ様、お帰りなさいませ。坊ちゃんでしたらあちらのお部屋に……お客様ですか?」
後ろの彼に気付いて首を傾げたグレミオに、テオはただ笑うだけに止める。
指差された部屋の扉を開けるのと同時に、室内からテオを呼ぶ声が響いた。
「お帰りなさい」
「――お前に紹介した人がいる」
「僕に?」
戸口まで歩いてきた人物は。
黒髪を、緑のバンダナで包んで。
目の覚めるような鮮やかな赤を纏い。
戸惑いの濃い顔で。
それは
「テッド君だ。しばらく屋敷に滞在する、よければ話してみなさい」
「テッド、くん? 僕、シグールっていいます、よろしくね」
微笑んで差し出したその手は
前は
前は、握らせてくれなくて
「…………」
「テッド君?」
小首を傾げて繰り返し、名前を呼ぶ。
俺の名前を
君の声で
「長旅で疲れているのだろう、今日は休ませてあげなさい」
「はい」
「疲れているところをすまないね……今日はゆっく――」
握ったら俺は、歩き出せる。
今までの過去を全て忘れて。
君の隣で、ただの少年となって。
君の隣を、ずっと守る。
「俺、テッド」
自分より小さな手を、手袋をしたままの右手で。
「よろしく、シグール」
「うん」
嬉しそうに笑ったその顔を。
君をずっと守るから。
「こんどこそ、本当にお別れだ……元気でな……俺の分も生きろよ……」
本当はもっと一緒にいたかった。
けれどきっといつか、俺はお前の元を去る。
これで、俺の記憶に束縛されてくれ――そう願うのは俺が卑怯だからだ。
泡沫の夢は楽しかったよ、シグール。
想像できた限りのどんな事より、楽しかった。
お前は俺の本当にたった一人の友人だから。
許してくれなんて言わない。
永遠に俺を恨んでほしい。
見ている、お前をずっと見ている、紋章の中で。
最後に伝えたかったのは、俺の分も生きろよなんて陳腐な言葉じゃなくて。
大好きだよシグール。
俺はずっと、お前に出会える日を求めてた。
……ありがとう。
***
テッドは戦災孤児……と言う事になっていたそうです。(1オフィシャル設定)
これを書くにあたってゲーム会話集を読んでのけぞりました。
なんでこんなに喋ってるのこの子。4のヒッキーはなんなのアナタ。
なんでフッチと普通に喧嘩してんの、300とかポロッと言うなよアホウ。
喋らない主人公のフォローも兼ねているでしょうが、なんか無理してないですかテッド?
……とも言いたくもなる。
私のベースは4のテッドらしいです。